大人の靴屋

「どこに置いたっけ?」 週末、家を空ける前はそこにあったはずだ。しかし見当たらなかった。 洋室にあるソファーと長椅子の上には、丁寧に畳まれた洗濯物が仕分けされていた。畳み方と、仕分けが、いつもと少し異なった。 それらの洗濯物と、洋服を収めてい…

秋晴れ

「さむっ」寝床に入りながら、思わず声が出る。娘もよく言っていた。 雲一つない空だった。夏にはプールが広げられていた保育所の前には、一台のカートが置かれていた。その中には、小さな子供が4~5人乗っている。これから外へ出掛けるようだ。しかし、まだ…

再開せよ

リュックを下ろし、うがいと手洗いを済ませたら、すぐさまベッドに潜り込んだ。携帯電話のアラームを一時間後にセットし、仮眠をする。 途中で雨音が聞こえ、洗濯物が気になったが、体を起こすことはしなかった。 長い制作期間を終えた。帰ったら寝る、そう…

寄り道

「お幸せにお降りください」 何も急ぐことはなかったのだ。そう遠くない目的地に行くのに、”普通”でも”急行”でもどちらでも良かった。しかもまだ間に合う時間だ。なんとなく人の流れに沿って急行に乗り換える。やはり混んでいた。 頭の中で、言葉を変換する…

挑む

クラスの何人かは、授業中イヤホンをしていた。注意事項は、”音漏れはしないように”だった。 どうにも集中できない。曲や、その音に合わせた歌詞を聴いてしまう。先生からの注意事項は、私には無用だった。イヤホンをつける必要がないからだ。 制作期間中、…

日々

電車の警笛が鳴った。 ドアが閉まるというのに、小さな駅のホームには残る人がいる。特急や急行が走る路線ではないので、この駅で後から来る電車を待つ必要がない。 電車に乗らなかった彼らに視線を向ける。お父さんとお母さん、二人の前に小さな男の子がい…

余裕なき

玄関の方から、物音がした。インターホンのカメラを覗くが、誰もいない。 積み上げた”もの”たちが、少しずつ崩れ落ちてる音かもしれない。玄関近くの、もう娘の元部屋だという名残もないほど散らかった、自室に向かう。 パソコンからデータを送ったプリンタ…

「私」と向き合う

特別お題「わたしがブログを書く理由」 ※はてなブログ企画※ いつか記しておきたいと思っていた。いい機会かもしれない。少し語ってみようか。 もう昔のことで覚えていない。”趣味は読書”という少女だったら、きっと覚えているのだろう。 夏休みの宿題で、一…

花朝月夕

心地よい風に当たると、なんだかホッとする。一日に一度は、部屋の空気を入れ替える。時には湿った空気が入ったり、かえって部屋の暑さが増したりするが、涼しい風が通ると、堂々と窓を開けられる。 昼間はまだ暑いが、朝夕過ごしやすくなった。”そろそろ遥…

心模様

彼女はいつも笑顔だ。こちらまで、自然と明るい表情になる。 近所に住む彼女、咲希さんとは、ごくたまにすれ違うことがある。互いに、もしくは片方が自転車に乗っている、そんな状況もあって、立ち止まることはない。挨拶を交わすのみだ。 駅前のクリーニン…

半人前

置時計の横に、新しいアイテムが並べられた。毎朝、そこに書かれた言葉に目を通すようにした。 駅を降りて、日傘がないことに気付いた。その上、腕時計も忘れている。日傘なんぞ、今年の夏に初めて手にした。腕時計も以前は着ける習慣もなかった。今では、毎…

不意打ち

部屋で寝ている私に、会社に出勤しようとしている夫が、声を掛けた。寝ぼけた様子で見送った私は、寝過ごしたことを認識するのに、間があった。 授業の内容や進み具合から、今週は、特段時間に追われるようなことはない、はずだった。予め説明会でも聞いてい…

孫の祭り

初めて耳にした言葉だった。皆が集まる機会だと、夫の母が言った。 彼ら兄弟に会うのは久しぶりだった。弟の方は数年前に上京し、我が家からさほど遠くない場所に住んでいる。それでも今年はまだ一度も会っていなかった。兄の方というと、最後に会った日が思…

訓練中

ノートを広げるスペースはなく、ノートパソコンのキーボードの上に置く。だからと言って、それは言い訳に過ぎず、広い机にノートを広げたところで、板書を書き写す文字は変わらず汚いだろう。 自分の字が好きではない。その上、学生の時より、ノートの取り方…

猫の手も借りたい

ラインの最後に猫の写真が送られてきた。飼い主は”癒し”と言っていた。なんとも可愛らしい。 最近猫を飼い始めたという彼女からラインが来た。彼女の用件は、さすがに私の”呼び出し”ではなかった。寧ろ、私を呼び出さなくとも、今は人が増えているという朗報…

半休

”大変混みあっています”というメッセージは聞き飽きた。それでも電話は切らず、スピーカー機能をONにして、根気よく待ち続ける。 相手先の電話の受付時間が限られていた。こちらも、いつでも電話を掛けられるという訳ではない。今日、この件は済ませておきた…

始める

脳内の音楽に合わせて、手足を動かそうとしたが、音楽が途絶えた。無音のなか、空で体を動かそうとしてもダメだった。体は覚えていないようだ。携帯電話で”ラジオ体操”を検索する。 動画アプリで再生される、懐かしい音を耳に入れながら、音に合わせた動きの…

朝活を考える

ここの家主は、土地を手放したようだ。囲まれた塀の向こうは、今まで窺うことはできず、ただ広いことだけは想像できた。塀が取り壊され、敷地内が露わになった。と同時に、その隣に建つ家屋も一緒に取り壊され、なお広い土地が更地になり、ここも同じ家主だ…

疲れ

シュワシュワと炭酸が泡を立てているところに手をやると、その原因となる固形物が随分と小さくなっていた。 朝の目覚めが良いとはいえなかった。体が固まっていて、重い。痛みもどこかしらあって、すっと歩けず、ぎこちない。 万年肩こりの私は、普段痛みは…

整える

マンションから出たところで、忘れ物を思い出した。しかし引き返すには時間がない。電車に乗り遅れるわけにはいかず、そのまま駅へと向かった。 今日は”遅れ”がないようだ。毎朝電車に乗るようになって、まだ日は浅い。しかし、電車の遅れに度々遭遇し、その…

猫とお家と

携帯電話のカレンダーアプリが、今日の予定を知らせてきた。面談を終えたあとの、ちょうど良い頃合いの時間に設定しておいたのだ。 カレンダーに記したのは念のためで、もちろん忘れることなく、すでに最寄駅を降りて、彼の待つ家へ向かっている途中だった。…

近道

日が迫ってきて、ようやく腰を上げるのは、いつもの悪い癖だった。一昨日も昨日も同じ書類を広げていたが、空欄は埋まっていなかった。睡魔に襲われて、連日断念している。明日の面談に必要となる書類は、今日がタイムリミットだった。 ”協調性”、”責任感”、…

あとで

この頃、ベランダとその先の庭に、来客が多かった。私の気配を感じると、一匹は右に、一匹は左に、逃げ去るトカゲがいるかと思えば、こちらの気配など気にもせず、堂々としているカラスがいる。 姿を見せない鳩だが、ベランダにやってきているのは知っていた…

歩かず そして歩きだす

なにか、様子が違った。階段から見下ろす光景に、随分と人がいる。私は階段を下りきって、長い列の一番後ろに並んだ。 私の後ろにも人が並んでいく。しばらくして、私は列から抜け、先ほど下りてきた階段を上った。迂回をするか、時間潰しをするか考えた。上…

目的

いつもの指定席と違い、ゆったりと座って少し贅沢な気分を味わっていた。私の席の隣も然り、並んだ二席のうち、ひと席はどこも空いているようだった。しかし、次の駅で席は埋まってしまう。今日は金曜日だった。 五十になったら一人旅をしようと決めていた。…

折り返し

あと、どのくらいだろう。 スタートやゴールは、キリの良いところを設定する。月の初めや月の終わり、週の初めや週の終わり、ちょうど一週間だとか、十日だとか。期間だけではなく、時間もそうで、〇時になったら始めるだとか、〇時が過ぎたら、次は〇時半だ…

未知

「L」の英文字の発音が、「え・る」ではなかった。彼女はきっと英語が話せるのだろうと想像した。 机にはいくかの書類が並べられ、その一つに目を通した彼女は、「長いですね」と言った。 「ええ、半年あります」と答えた私は、もうここに来るのは四回目だ…

夏 到来

「暑い」と声に出せば余計に暑いのに、言わずにはいられないほど暑い。連日、気温は三十度を超えていた。 エアコンが欠かせないが、心地よいとは言い難い。夜の九時を回り、一度エアコンを止めて、窓を開けてみた。もわっとした生暖かい空気が肌に触れ、すぐ…

七夕

ラインで送られてきた一枚の写真をみて、今日が七月七日だったと気付く。グループライン内の会話を目で追っていると、写真の送り主は、有名な七夕祭りに行ったようだった。隣県の地名だったが、七夕祭りが有名だと初めて知る。後ほど調べてみると、日本三大…

心 踊る

ポストを覗くと、一通の封筒が入っていた。 *** 帰宅した途端、頭がズキズキしだした。体もとても疲れている。暑さのせいだった。いやしかし、それだけではなかった。 前日、夜遅くまで起きていた。自分なりの準備は、抜かりなくやったつもりだ。想定され…