「私」と向き合う

特別お題「わたしがブログを書く理由」 ※はてなブログ企画※

いつか記しておきたいと思っていた。
いい機会かもしれない。少し語ってみようか。

 

 

もう昔のことで覚えていない。
”趣味は読書”という少女だったら、きっと覚えているのだろう。

夏休みの宿題で、一番苦手だったのが、読書感想文だ。毎年一冊は否応なく、本を読まされる。しかし、今まで何を読んだのか、記憶になかった。

普段出される宿題は、きちんとやる子だった。
しかし、夏休みに出される大量の宿題には、対応できない。計画どおりに、そつなくこなせる子ではなかった。尚且つ、嫌なことは後回しで、必然的に夏休みの最後には、読書感想文が残ってしまう。

 

もうその頃から、”片付けられない”ことは自覚していた。
二十歳を過ぎても、実家では”子”であった私は、片付けられないことに悩みもせず、そして誰からも怒られなかった。

散らかった部屋であることの、恥ずかしさはあった。稀に、誰かが家に遊びに来るときだけ、片付けていた。

 

その後、結婚して妻になり、母になった。
”子”でなくなった私は、妻の役割、母の役割をしていかなければならない。

そこからだ。”悩み”として、私にまとわりつくようになったのは。
”片付けられない”ことだけではない。家事全般ができないことの後ろめたさが、大きく私にのしかかる。

もう何度も片付けはしている。変わらなければとも思っている。しかし、改善されないまま時は過ぎ、子供達が成人した。

ちょうどその頃、長年勤めていたパートを辞めた。それから、少しずつ”私”に変化が訪れる。その一つが、「ブログを書く」ことだ。

ちなみに、変化は訪れるも、まだ片付けは終わっていない。

 

客観的に「私」を観察してみれば、なんとも、言い訳だらけだ。
ただ、言い訳でもなんでも、何を思ったかを吐き出したいのだ。

私にとって、”片付けられない”ことはとても大きな悩みであること。なぜ片付けられないのかを知りたいこと。私なりの行動や努力を知ってほしいこと。結果に至った経緯を聞いてほしいこと。

いろいろな思いを綴っている。
気持ちや考えも変わるし、矛盾したことも多々、記している。失礼なことも、地雷を踏むようなことも。

 

今、ここに居る私を語るに、やはり家族のことも関わってくる。
家族への、多分に夫への感謝は、もちろんある。ただここでは、述べていない。

一旦、心の中の気持ちを、全部外に出す必要があった。
感謝の気持ちが上回って、”私”の思いに蓋をしてしまいかねないからだ。


一番聞いてもらいたくて、一番聞いてもらいたくないとも言える。
気持ちに寄り添ってもらいたいが、理路整然と”正しい”方向に導いてほしいわけではない。となると、それはこちらの都合の良いように聞いてほしいと、私の”我”の押し付けになってしまう。


書くことは、前へ進むための、作業とも言える。
そして、等身大の”私”を知ること、その”私”を客観的にみること。

私”ゆめ子”は、心の中のわたし”みぃ”に語り続ける。

 

以上が「わたしがブログを書く理由」である。

 

 

読書感想文があれほど苦手だったのに、ブログを書き始めた自分に驚いている。
実は、ブログを始めるより先に、Youtubeを始めている。
そのあたりの、「私」も今度語りたい。