いにしへの

過去に戻りたいわけではない。少し覗いてみたくなっただけだ。

 

駅の周りには、わずかな数の店舗しかない。どこも違う店になっている。いくつかの店は、恐らく閉店しているであろうことが伺える。ぐるりと見渡していると、思わず「えっ!」と声が出た。かれこれ四十年以上前、ここに越してきた当時からあるパン屋は、まだ健在だった。色褪せた看板はその時のままなのかもしれない。よくここでパンを買っていた。店の前にある自販機で時々買う、ガラス瓶に入った「メローイエロー」も最高だった。

もう姿、形もないことは知っていたが、当時住んでいた家の前までやって来る。

『なつかしぃなー、ゆめ子さん』

「あっ、みぃ」

『うちのこと、忘れてへん? 最近、全然出番ないねんけどー』

「ごめん、ごめん。忘れてないよ。今、昔住んでいたところを覗いていたの」

『グーグルマップのストリートビューで簡単に見れるよな』

 

南向きの日当たりの良いお家だった。二階の私の部屋から、遠くに山が見える。山の向こうは観光地としてもよく知られている。だが、山のこちら側も同じ市内であるということを、観光客の多くは知らないかもしれない。
高校までは徒歩で通っていたが、短大、就職先と、山の向こう側まで通学通勤をしていた。家を早く出たいとか、一人暮らしがしたいとか、考えたことはなかった。

片付けられないことは自覚していた。しかし片付けようという意識は薄かった。高校に通っていた時、毎朝、制服のりぼんを探すというミッションがあるぐらいで、この家では「子供」の立場だった私は、特に困っていなかった。

独身で、もう少し長く家にいたら、実家を出たのだろうか?
一人暮らしを経験したら、「片付け」を意識したかも知れない。いや反対に実家に居たときより、ひどい状態になることもあり得る。
今だからこそ、一人暮らしを想像したとき、散らかしようがないと強く言える。必要最低限のものだけで過ごすのだから。

生活をするうえで、「片付けられない」より「片付けられる」ほうが、断然よい。苦もなく、自然にできるぐらい身についていることが望ましい。

短大を出て、三年勤めたあと、寿退社をした。
「ことぶきたいしゃ」って、きっと今では死語だ。「いいおよめさんになる」ための、枕詞みたいだ。
退職後、実家にしばらくいても良かったと、随分のちに思ったことがあった。一人暮らしを考えたことがなかったのと同様に、すぐに新しい生活を始めることに疑問もなかった。
「子供」から「妻」や「親」になる前に、新たな生活における「私」を想像する時間が必要だったのかもしれない。そして、まだもう少し「子供」でいたかったのだ。親孝行らしいこともせず、実家を出た。

なぜ、私は片付けができないのだろう?
誰しも苦手なことはある。それが、なぜ私は「片付け」なのか?
他にできないことを、私にあてがってくれたら良かったのにとさえ考えてしまう。

 

過去のどこかの時点に戻って、未来を変えたいとは思わない。それは、今がなくなるから。ただ、過去を覗きにいくだけ。これからも片付けはしばらく続く。

『うちも一緒に入れてなー』