試練

居たら居たで気になるし、居なくなったらそれはそれで、気になった。洗濯を干す私と目があった。その日から、彼は三日間も滞在していた。

普段、庭にいるであろう彼は、時々、ベランダの方へやってきて、私の目に留まるところに現れる。申し訳ないけれど、苦手である。何をするわけでもないので、そっと見守る。ベランダを出入りする私は、驚かさないようにと案外気を使っている。

室外機の上に、彼はずっといた。ふと気付くと居なくなっていた。
雨のなか、カマキリはどこかへ行ってしまった。

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長年「片付けられない主婦」をやっている。ここにいるから「片付けられない主婦」であるが、ここから抜け出せば「片付けられる私」である。
空っぽの部屋からスタートするなら、厳選された必要最低限の「もの」だけ置く。散らかりようがない。主婦の家事能力云々はさておき、自分の身の回りのことはできる。「片付けられる私」として一人で生活することができる。「主婦」の肩書きを取っ払いたい。

このような思考になることはよくある。「片付けられない」ことがしんどくなる。

片付けに悩まない一人暮らし。環境を変えただけなら、根本的には解決していない。
片付けに悩みながら家族と同居している暮らし。今のままでは当然解決しない。
片付けに悩まず家族と同居している暮らし。この場所で、片付けられるようになれたら最強だ。

片付けられないままでは、同居する家族が居たら居たで気になるし、居ないなら居ないで、それもまた気になる。

私にとって「片付け」は、「もの」の処分や、整理整頓だけのことではない。心の声に耳を傾ける作業でもある。たらればの話で、現実逃避してはいけない。今まで何度も途中で放棄している。逃げずにとことんやる、試練を受ける覚悟をする。