人生100年時代

じわっと汗をかく。顔が火照っている。
去年の秋ぐらいから、この症状がある。時々だったのが、最近、一日一回は現れる。いわゆる、更年期障害というやつだ。

 

 

ようやく分厚い本を読み終えた。
どんな本だったか語っても、本の分厚さには比例しない。推理小説と違って、なかなか頭に入って来ず、上手く説明できない。なんとなくは、理解した。
夫が勧めてくれた本だが、まだ彼は読み終えていない。読み終えるのを待たずに、会社に行っている間に拝借した。

私は、本をあまり読まない。興味がなければ尚更で、夫に勧められてもお断りする。
読み始めて、断念しそうになったが、本の内容を夫と共有しておいた方が良いのでは?と、本の題目が語ってくる。”これから”を、考える機会が増えつつある私達には、なるほど、本を通して、また視点を変えて考えることができる。

ライフシフト”、一読したばかりの本の名を検索窓に打ち込む。想像どおり、いくつも本を要約している動画が見つかった。その中から、視聴したことのあるチャンネル名を選ぶ。実に簡潔で分かりやすい。これで、内容が頭に入った気がした。

 

 

自身や家族の環境が少しずつ変化していくなかで、”受け入れる”という言葉が、頭の隅に置かれるようになった。小さな変化だけでなく、突如”何か”がある可能性が、年を重ねると多くなるだろうと想像する。
健康、住まい、収入、夫、子供、親、身内、”何か”の内容は実に様々だ。
”何か”のせいにして、怒りをぶつけたりしないということ。かといって、”何か”に対して、自身の思いや考えも封じ込めないということ。受け入れて、対処する。

 

 

火照る顔もいつか治まるかもしれない。また何か違う症状が出てくるかもしれない。
あちらから来るネガティブな変化に気を揉まないように、こちらからはポジティブな変化をもたらせば、心と体のバランスがちょうど良いかもしれない。

 

三度目の正直

「じゃじゃ~ん」

遥子ちゃんにお披露目をする日がようやく来た。


河川敷のテニスコートは水はけが悪く、前日の雨の影響を受けやすいと遥子ちゃんが言う。前回、前々回も、当日雨は止んでいたが、コートは使えなかった。
昨日も夕方から雨が降り出したので、三度目もまたかという気持ちになっていた。しかし、中止になるほどの雨量ではなかったようだ。

遥子ちゃんはいつも謙遜して、テニスは下手だからというが、そんなことはない。
確かに、ハードな動きやスピード感あるボールを見たことはないが、それは私に合わせて打っているからであって、彼女はもう十年もテニスを続けている経験者だ。

とにかく怪我だけはしないようにしようね、と互いに言い、意識していた。毎週テニススクールに通う彼女と違って、なにせ普段テニスをしていない私を、彼女の方は特に心配していた。約束事は「走らない」だった。ボールを無理に追いかけないということだ。

 

 

テニスの歴史を少し語ると、私が最初にテニスに興味を持ったのは、小学生の時だ。
運動音痴は自覚していたが、なぜかテニスを習おうという気になった。
隣の駅にある、テニススクールに母と訪ねたのだが、小学生を教えるクラスがなかった。

それから時を経て、高校生になり、友達に誘われ二つ返事でテニスを習うことになった。ちなみにテニス部に入ろうなんて選択肢は、中学生の時も、高校生の時も全く持っていなかった。

高校生の時に少しテニススクールに通っていたという経験だけだ。あとは遊びで、その数も知れている。

 

 

遥子ちゃんとのテニスも、年に一回する年もあれば、しない年もあるぐらいの感じである。そんな頻度ということもあって、彼女の言葉に甘え、いつも彼女の娘ちゃんのラケットを借りていた。
私の当時のラケットはあまりに古くて、持ち込んだスポーツ用品店で、ガットの張り替えを断られたという経緯もある。ガットを張った時にラケットが破損する可能性があるというのも、納得した。

 

長い間、ラケットを借りていたが、今日からその必要がなくなった。やっと、自分のラケットを手に入れた。テニスコートに着いたら、早速、新しいラケットをお披露目する。

ラケットを眠らせないように、来月もまた河川敷のテニスコートを予約することにした。

 

最新のモノ

データ更新を”自動”に設定しているが、スムーズではないので、手動で更新する。
まだ使い始めたばかりで、要領を得ていない。

去年の夏から、毎日体重を量るようにしている。
知らないうちに増えているということがあるので、意識して自分の体重を知っておくというものだ。今までカレンダーに数値を書き込んでいたが、数日前からカレンダーが空白なのは、体重計を新しくしたからだった。スマホにデータが転送されるのである。

何かを買い換えるタイミングは、故障であることが多いが、今回はその理由ではない。
夫が前々から体重計の買い替えを提案していた。夫も体重管理が必要で、私も然りだ。

前の体重計も体重のほか、いくつかデータを記録してくれるのだが、体重計を操作しないと記録もしないし、データも見ることはできない。今回の体重計は、電源も入れずに、ただ乗れば良いだけだ。断然、最新のモノの方が使い勝手が良い。一目瞭然にスマホでデータを見ることができるのは、とても便利である。

 

不用になった体重計は、すぐに引き取り手が見つかった。新しい体重計を手に入れた翌日に、娘の家に運び込んだ。

一つ”モノ”を手に入れ、一つ”モノ”を手放したが、スマホの画面には、アプリが一つ増えた。パソコンのデスクトップのファイルと同様に、アイコンで埋め尽くされていた。
こちらも、せめて一つは減らさないといけない。新しく入れた体重計のアプリを探すのも一苦労する。


アプリのデータは、どの項目も”標準”と表示する。よくよくみると、体脂肪率のところだけ、小さい文字で「+」が付いていた。私の「+」も、減らす必要があるようだ。

 

個人情報バラまき作業

郵便局の窓口で、一通の封筒を差し出した。これで”終わり”ということになる。

もうずっとネット検索ばかりする毎日で、心身共に疲弊していた。
職業訓練校を修了して三ヶ月以内に就職をし、活動報告をすることが義務付けられている。未就職という欄に丸をした紙を封筒に入れ、郵便局へ出向く。最後の活動報告をした。
訓練校への報告は終えたが、実はもう一方、ハローワークの報告も数週間後にしなくてはならない。報告内容は同じであろう。

 

一旦、仕切り直すことにした。白紙に戻す。

 

破棄されることが前提の個人情報の提供だが、実に簡単に相手方はその情報を手に入れ、”私”という人間を知ることになる。応募すればするほど、ダダ洩れではないかと気付くと、余計に疲れてしまった。

職業訓練校へ行こうと思い立ったことも、その学びを続けると決めたことも、仕事の在り方にこだわったことも、その時の自分の心と行動が起こしたことである。

目的がブレないよう職探しをしていても、時には見失っている自分がいた。ネットの求人探しだけでなく、その過程の自身の考えや気持ちと付き合うのにも、疲れてしまっていたのだ。

 

少し肩の荷が下りたのは、期日を守るよう厳しく言われていた、最後の報告書の提出が終わっただけではなかった。
樹希ちゃんに、この一連の話を聞いてもらったことも大きい。悶々とネットに向かって、ブレたりブレなかったりの、この時間も大事だと彼女は言う。改めて”私”と向き合える。

”週五で働いて、気付くのもありかもね”と冗談っぽく彼女は言う。私が条件に掲げていない働き方をするのも、ブレていることの気付きになるのではというのだ。
そういう彼女は、行動も早いが、違うと気付いて、軌道修正するのも早い。

今のこだわりは、また別のことが優先されると、違うこだわりになるのかもしれない。
都度、自分の気持ちに向き合っていく。

 

歩こう

「今日だけは、やめて」という男の子のママの気持ちは、よく分かる。いつもは寛容なママであることが想像されるが、今日ばかりは勘弁してほしいだろう。通りすがりの私でさえ、冷や冷やした。
ランドセルを背負って、おめかしした男の子は、水溜まりに足を入れようとしていた。

日曜日、小学校の入学式を控えた親子で、土手は賑わっていた。
桜の木をバックに、どこもかしこも撮影会が行われていた。一年生になる子ばかりではない。プリンセスの恰好をした小さな女の子や、中学校の制服を着た子も見掛けた。もちろん、それとは関係なく、お花見を楽しんでいる人も多くいて、とにかく混んでいた。

そんな光景を見ながら、いつものウォーキングコースを一人歩いた。

 

 

迷ったが、外に出た。”雨が降っている”は、言い訳にならなかった。今朝、強く降っていた雨は、知らないうちに止んでいた。
雨で濡れた桜の花びらは、地面いっぱいに敷き詰められていた。一昨日、賑わっていた土手とは違い、今日は閑散としていた。

 

週一の遥子ちゃんとのウォーキングは続いている。
あとは、買い物に行くのになるべく歩くようにしている。しかし、行くスーパーによって、距離はまちまちで、もちろん買い物に出ない日は、歩く機会を逃す。

 

そんなわけで、毎日ある程度の距離を歩くことを決意して三日目、今日も土手を一人歩いた。継続できるか定かでないが、無理のない範囲でやっていく。
とにかく健康のためである。

 

訪ね人

携帯電話に表示される番号は、知らない番号だった。
電話に出ないでいると、すぐさま、家のインターホンが鳴った。
まだ朝の8時過ぎである。そこには、知らない人が居た。

 

カレンダーに書くのをすっかり忘れていた。ただ、遥子ちゃんの経験がここで活かされる。財布の中には、シール状になった券をすでに忍ばせていた。

玄関前に立つ”知らない人”は、粗大ゴミの回収に来たと言う。
粗大ゴミを出すときには、”有料粗大ゴミ処理券”を貼っておくのだが、その券を持っているか尋ねられた。そう、財布の中にある。レシートに埋もれた券を取り出す。そして、肝心の”粗大ゴミ“は押入の中だ。慌てて取りに行く。一人で運べる、コンパクトなサイズのモノで助かった。

 

つい先日、遥子ちゃんも同様に、玄関前に粗大ゴミを出し忘れて、インターホンが鳴ったと言っていた。券を購入することも忘れていたので、結局出せず、残念がっていた。それを聞いて、申し込み後、すぐにコンビニで買っておいたのだ。まさか、同じことを経験するとは思っていなかったが。

マンション前に出す予定のゴミを、一番奥の部屋である、我が家の玄関先まで取りに来てくれたことが申し訳なく、丁寧に詫びた。

また、一つモノを減らせた。

 

 

片付け意欲も日によって、波がある。
それでも、できる時にできる事をして、進めていく。リバウンドさえしなければ、片付けから解放されるのだ、と言い聞かせ、心掛ける。

家に関するモノは、整理整頓も含めて、”片付け”と総称しているが、その中でも、”元の場所に戻す”という意味合いとは異なる性質のものがある。
レシートの整理である。増えていくものを処理していく、扱いがなかなか厄介だ。

溜めては時間を掛けて整理をする、をことごとく続けている。家計管理の”やり方”が構築していないばかりに、捨てられないのである。

粗大ゴミの券が埋まるどころか、キャッシュカードもなかなか姿を見せず、焦ったばかりだ。
レシート整理に時間を掛けている場合ではない。この件は、早々に着手する。

 

繋がり

先に彼女の方が、私に気付いてくれた。
待ち合わせ場所に行くのに、同じ路線に乗ることが分かったのは、前日、彼女がグループラインで問いかけてくれたおかげだった。乗り換えの駅で合流し、次の待ち合わせ場所へと向かう。

彼女とは互いに認識できたが、次の待ち合わせ場所で会う彼女達と上手く合流できるかは、また不安だった。そのうちの一人が、着いたら写真を送ってくれると言っていたとおり、ラインに写真が送られてきた。大きな駅の改札口を出ると、写真と同じ光景が目に入る。

お昼ご飯の調達に時間を要してしまったのは、お店が数多くあるだけの理由ではない。
共通する”いつもの感覚”が、私達の中にはなかったのだ。そんなわけで、目的地の最寄駅である隣駅で、最後の一人を随分と待たせてしまった。

最後に合流した彼女に、会って早々「髪、切った?」と聞かれた。
最近切ったわけでもないので、いまいちピンと来ない。確かに前回会った時は、肩に髪がついていた。まるでいつも会っているような聞き方が面白い。

 

 

ラインの登録名からニックネームで呼び合うようになるも、声に出すのは今日が初めてだ。まだ口が慣れていない。かといって、苗字に”さん”付けで呼ぼうにも、彼女達の本名を知らない。

レジャーシートに腰を掛け、まずは乾杯をする。最初は自己紹介だ。ここで初めてフルネームを知り、年齢も明かされる。

ちなみに今日は、主役の月子さんは居ない。私達の共通点は、月子さんの視聴者であるということだけだ。”マチダ”で開催されたオフ会から、一年と少しが経過していた。
彼女達に会うのは、それ以来だった。

 

まだこの日は、桜の木は花を咲かせておらず、少し残念ではあったが、代わりに菜の花が一面に黄色い花を咲かせていた。

グループラインに載せられた写真には、菜の花の前で写る、すっかり打ち解けた私達が居た。