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クラスの何人かは、授業中イヤホンをしていた。
注意事項は、”音漏れはしないように”だった。

どうにも集中できない。曲や、その音に合わせた歌詞を聴いてしまう。
先生からの注意事項は、私には無用だった。イヤホンをつける必要がないからだ。

 

制作期間中、各々机に向かって作業をする。音はない環境だったが、集中力は途切れる。作業量も多く、家での作業時間を足さないと、どうにも追いつかなかった。
それは、”人による”ものではあったが、私には授業時間外の時間が必要だった。

 

 

まだ作業途中ではあったが、見えてくるものがある。
その一つは自分の欠点が浮き彫りになることだ。
ここは職業訓練校なので、仕事に就くための学びをしているが、欠点をどう解消していくかも、技術だけではない学びだと気付かされる。
まだ見えない何かも、どれだけ身に付けられるかは自分次第である。学びたいことがたくさんあった。

先生に学べる期間に、より多くのことを吸収する意気込みで、卒業は一つの区切りではあった。区切りのあとは、休憩をしてしまいがちな私だ。今回は、一旦離れることなく、学び続けたい。”やったことある”ではなく、”できる”と言うのだ。

 

 

二つ前の席に座る彼女も、イヤホンをしている。しかも片耳だけだ。
先生も一緒になって探したが、失くしたイヤホンは出て来ず、それ以来、彼女は片方の耳にだけ装着していた。

ふと思った。ラインに気付かないことがあった彼女に、イヤホンを耳につけておくっていうのはどうだろう?ラインの通知や着信音が、耳元で聞こえないだろうか?

明日は、私の番だった。
お休みがちょっとばかり多い彼女は、心配するクラスメイトと私から、起きているかどうかの確認のラインを受信するのが日課になった。

日々

電車の警笛が鳴った。

ドアが閉まるというのに、小さな駅のホームには残る人がいる。
特急や急行が走る路線ではないので、この駅で後から来る電車を待つ必要がない。

電車に乗らなかった彼らに視線を向ける。
お父さんとお母さん、二人の前に小さな男の子がいた。男の子は電車に向かって手を振っている。
警笛は、運転士さんから男の子に向けた挨拶だ。

 

なんとも楽しそうだ。
訓練校に行く途中、ビルの一角にある保育所の前を通る。庭を備えていないその場所は、夏の日の間、表に小さなプールを出していた。無邪気に水遊びをする子供達の様子が覗える。

 

目を閉じると、すぐに眠ってしまいそうだった。
繰り返しの毎日のなかで、微笑ましい光景が目に入るのも束の間で、なんだか常に追われているような感覚だった。

食卓の上には、”忘れてはいけないこと”をメモした紙が、常に置かれていた。
思い出したら、すぐ書くようにした。寝る直前になって、思い出したときには、わざわざダイニングまで行って、暗闇の中メモをする。


翌日、メモを眺めていると、解読できない文字を見つけた。まぎれもなく、私が書いた字だった。

余裕なき

玄関の方から、物音がした。
インターホンのカメラを覗くが、誰もいない。

積み上げた”もの”たちが、少しずつ崩れ落ちてる音かもしれない。
玄関近くの、もう娘の元部屋だという名残もないほど散らかった、自室に向かう。

パソコンからデータを送ったプリンターが作動していた。
そうだった。パソコンの操作をしたのは、少し前だが、ようやく動き始めたようだ。

今日は、すこぶるプリンターの調子が悪かった。
一枚印刷するのに、途方もなく時間がかかる。

明日の面談で持参する、複数の書類の印刷をしないといけないというのに。

 

書類を入れるためのファイルは、山ほどあるはずだが、どれもこれも、人前で出すにはちょっとといった具合だ。結局、すでに使用しているファイルから書類を出して、取り急ぎ明日だけのために、入れ直す。

面談が終わると、また書類を入れ替えるという作業が発生する。すぐやるかと言われたら、自信はない。

 

 

とりあえず今日のこと、明日のことをこなしていく、の繰り返しが続いていた。
頭では分かっている。”すぐやる”が、仕事を減らすということも。

 

一度立ち止まりたい。

「私」と向き合う

特別お題「わたしがブログを書く理由」 ※はてなブログ企画※

いつか記しておきたいと思っていた。
いい機会かもしれない。少し語ってみようか。

 

 

もう昔のことで覚えていない。
”趣味は読書”という少女だったら、きっと覚えているのだろう。

夏休みの宿題で、一番苦手だったのが、読書感想文だ。毎年一冊は否応なく、本を読まされる。しかし、今まで何を読んだのか、記憶になかった。

普段出される宿題は、きちんとやる子だった。
しかし、夏休みに出される大量の宿題には、対応できない。計画どおりに、そつなくこなせる子ではなかった。尚且つ、嫌なことは後回しで、必然的に夏休みの最後には、読書感想文が残ってしまう。

 

もうその頃から、”片付けられない”ことは自覚していた。
二十歳を過ぎても、実家では”子”であった私は、片付けられないことに悩みもせず、そして誰からも怒られなかった。

散らかった部屋であることの、恥ずかしさはあった。稀に、誰かが家に遊びに来るときだけ、片付けていた。

 

その後、結婚して妻になり、母になった。
”子”でなくなった私は、妻の役割、母の役割をしていかなければならない。

そこからだ。”悩み”として、私にまとわりつくようになったのは。
”片付けられない”ことだけではない。家事全般ができないことの後ろめたさが、大きく私にのしかかる。

もう何度も片付けはしている。変わらなければとも思っている。しかし、改善されないまま時は過ぎ、子供達が成人した。

ちょうどその頃、長年勤めていたパートを辞めた。それから、少しずつ”私”に変化が訪れる。その一つが、「ブログを書く」ことだ。

ちなみに、変化は訪れるも、まだ片付けは終わっていない。

 

客観的に「私」を観察してみれば、なんとも、言い訳だらけだ。
ただ、言い訳でもなんでも、何を思ったかを吐き出したいのだ。

私にとって、”片付けられない”ことはとても大きな悩みであること。なぜ片付けられないのかを知りたいこと。私なりの行動や努力を知ってほしいこと。結果に至った経緯を聞いてほしいこと。

いろいろな思いを綴っている。
気持ちや考えも変わるし、矛盾したことも多々、記している。失礼なことも、地雷を踏むようなことも。

 

今、ここに居る私を語るに、やはり家族のことも関わってくる。
家族への、多分に夫への感謝は、もちろんある。ただここでは、述べていない。

一旦、心の中の気持ちを、全部外に出す必要があった。
感謝の気持ちが上回って、”私”の思いに蓋をしてしまいかねないからだ。


一番聞いてもらいたくて、一番聞いてもらいたくないとも言える。
気持ちに寄り添ってもらいたいが、理路整然と”正しい”方向に導いてほしいわけではない。となると、それはこちらの都合の良いように聞いてほしいと、私の”我”の押し付けになってしまう。


書くことは、前へ進むための、作業とも言える。
そして、等身大の”私”を知ること、その”私”を客観的にみること。

私”ゆめ子”は、心の中のわたし”みぃ”に語り続ける。

 

以上が「わたしがブログを書く理由」である。

 

 

読書感想文があれほど苦手だったのに、ブログを書き始めた自分に驚いている。
実は、ブログを始めるより先に、Youtubeを始めている。
そのあたりの、「私」も今度語りたい。

花朝月夕

心地よい風に当たると、なんだかホッとする。
一日に一度は、部屋の空気を入れ替える。時には湿った空気が入ったり、かえって部屋の暑さが増したりするが、涼しい風が通ると、堂々と窓を開けられる。

昼間はまだ暑いが、朝夕過ごしやすくなった。
”そろそろ遥子ちゃんに連絡しないとな”

彼女には大概、私の都合に合わせてもらっている。今回もそうだ。
ウォーキングの再開を”気長に待つよ”と言ってくれている彼女に、なお、こちらの都合で、時間帯の変更もお願いすることになる。

先月まだ暑いさなか、久しぶりに会ったときは、ウォーキングをせずカフェでお茶をした。それもまた、急な連絡をしたこちらの都合だ。

 

遥子ちゃんとウォーキングしていると、よく我が家の隣に住む紳士に会った。彼は今も変わらず毎日ウォーキングを続けているのだろう。彼の暮らしぶりを勝手に想像する。

「春と秋の最も気候のよい時期のこと。またその季節の景色や風物を楽しみめでること。」の意味を持つ四字熟語を見つけた。

学研 四字熟語辞典"goo辞書”.goo.https://dictionary.goo.ne.jp/,(2023/09/19参照)


花も月も愛おしく眺める彼のようだと思った。最も彼は、春や秋に限ったことではないだろうけれど。

 

 

スーパームーンのように、ニュースで話題になるような月の日も、知らぬうちに過ぎていた。この頃、国内では様々なスポーツで盛り上がっているというのに、にわかファンにさえならずに、なんだか見過ごしている。

 

目まぐるしさに流されず、踏ん張ろうとするも、日々過ぎていく。
小さな心の余裕を見つけることさえ、忘れている。

心模様

彼女はいつも笑顔だ。
こちらまで、自然と明るい表情になる。

 

近所に住む彼女、咲希さんとは、ごくたまにすれ違うことがある。
互いに、もしくは片方が自転車に乗っている、そんな状況もあって、立ち止まることはない。挨拶を交わすのみだ。

駅前のクリーニング屋へ行く途中、向こうからよく知る人物が歩いてきた。今日は互いに自転車に乗っていない。
立ち止まって、つい話し込んでしまう。
彼女の、包容力を感じさせる、優しい声が、会話を弾ませる。

 

 

よくないな、とこの頃感じていた。
疲れた、時間が足りない、終わらない、分からない、文句のオンパレードだった。確かに、言葉のとおりの事実はあるにせよ、訓練校の帰りの日課のようになっていた。
私の声が、私の耳に定期的に届ける言葉は、私の身体を蝕んでいないだろうか。

少し周りをみた方がよい。
同じ状況下で皆は、どう感じ、どう捉えているのか。

休憩時間には、恋バナに花を咲かせるクラスメイトに交じる。主人公は決して私ではないのに、まるでフラワーシャワーを浴びているようで、こちらが幸せな気分になる。

 

 

クリーニング屋から戻った私は、今度は自転車に乗って、スーパーへ向かった。
夕飯時の人混みの多い店内で、咲希さんを見つけた。今日はよく会う日だ。

しばらく買い物を続けていると、今度は樹希ちゃんの姿を見つける。
噂をすればなんとやらで、笑ってしまう。

というのも、咲希さんと、共通の友達である樹希ちゃんの話をしたばかりだったからだ。今度、樹希ちゃんちに押しかけようなんて話をした。

 

 

締切は、少し先だった。それほど、ボリュームのある課題が出たということだ。
少し気を引き締める。と同時に、楽しく作業に取り組むことにした。

作業の合間は、クラスメイトの恋の進捗に、耳を傾けるのも良いかもしれない。

半人前

置時計の横に、新しいアイテムが並べられた。
毎朝、そこに書かれた言葉に目を通すようにした。

 

駅を降りて、日傘がないことに気付いた。その上、腕時計も忘れている。
日傘なんぞ、今年の夏に初めて手にした。腕時計も以前は着ける習慣もなかった。今では、毎日の持ち物の仲間入りだ。

そういえば、”今日の言葉”をまだ見ていないことに、夜になって気付いた。
今朝、置時計の横の、三十一枚からなる小さな日めくりカレンダーに、目もくれなかったのは、慌てて家を出たからだった。

 

大きな原動力となり、自らを成長させることも、もちろんあるであろう、”負の感情”を糧にすることには、抵抗があった。
”負の感情”を抱いていると、良からぬ方向へいくような気がするからだ。
”負の感情”ではない何かを探している。決意したことを実行するには、どうにも”何か”が必要だった。

実にいろいろなことが、溜まる一方だった。
とりわけ家事は、一番気になった。どう対策していくかを考えたとき、具体的な方法に加え、感情と体力とも相談する。

極端な二つの解決方法を知っている。”一人”になること、もしくは、同じ空間に居る”誰か”の考えに沿うこと。

”私”は”私”でいるようで、そうでもない。まだ私は”何か”に不満を持っている。
”負の感情”が見え隠れする自分も、偽りない自分だった。

 

カレンダーに目をやった。
彼の作品を目にすると、私の未熟さが浮き彫りになる。

「名もない草も実をつける いのちいっぱいに自分の花を咲かせて」

  (相田みつを相田みつを美術館 こころの暦 にんげんだもの1 .相田みつを美術館 2019年)