結局

父は退院した。

退院が決まったと病院から連絡があった翌日、主治医の寛大な配慮により一度決まった退院を取り下げてもらった、はずだった。

二度目の退院の連絡を受けたとき、私は樹希ちゃんちに居た。
電話を受けたり掛け直したりと、再度退院を取り下げてもらうも、私の説得もむなしく、その日の内に自宅へ戻ることになった。

前回も今回も、友達と過ごしている時間になぜこんな騒動を起こすのだろう。
父、病院、Kさん、ケアマネージャーとのやり取りに、連日時間を費やした。

 

父に関わることばかりで七月は終わった。八月に入っている予定を口に出してみた。いくつかあるが、何か足りないような気がしてならない。

いつもなら、買ってすぐに読み始める推理小説もそのままになっていた。レシートや書類も溜まっていた。いろいろ調べたいこともあった。

あっ、家族面接の日だ。忘れていた予定を思い出した。
父の入院中、一ヶ月に一度実施されるという。私はリモートで参加することになっていた。もうその予定はなくなった。退院時も入院時と同様、家族の同行を求められていたが、当然こちらの予定もなくなった。

 

振り回さないでおくれ

「今、おっちゃんから電話があって」

夜分にごめんなさいと断りのあと、彼女はそう言った。夜の11時である。
おっちゃんとは父のことである。Kさんは父のことをそう呼んでいた。いやTさんの話題のときもそう呼んでいたから、誰でも高齢の男性はおっちゃんなのかもしれない。

娘と見ていたNetflixのドラマを中断し耳を傾けた。事情を聞くと、父がKさんだけでなく、入院中の病院にも迷惑を掛けたことが分かった。彼女の声は隣にいる娘にも漏れている。Tさんの話題になると娘は笑っていた。父は彼女に多大なる迷惑を掛けているが、それ以外の話はとても面白い。
しかし、この時はまだ気付いていなかった。この話に続きがあることを。

 

今日は楽しみにしていた遥子ちゃんとのランチの日だ。
出掛ける前に、昨晩の件を病院に確認しなければならない。早速あちらから電話が掛かってきた。父の現状の報告を受け、昨晩のことを平謝りして電話を切った。ここで一旦は一見落着かと思われた。

 

「ゆめちゃん、私のことは気にしなくていいから電話に出て!」
ごめんねと返事をして席を立ち、遥子ちゃんを置いてカフェを出た。出先であることを伝え、用件だけ聞いた。今朝の電話の話は終わったはずだったが、遥子ちゃんと会っている最中、何度も病院から電話があった。その度に留守番電話を聞いたが用件は語られず、折り返してほしいとだけ声が入っていた。

 

「退院することが決まりました」
耳を疑った。退院はまだ先の話である。しばらくの間、頭の隅に追いやっていい案件なはずである。

父の我がままである。時々父は尋常でない胃の痛みを発症するという。
持ち込んだ薬も、ここで処方された薬も効かない。かかりつけ医に行くと言い張り、退院を希望したというのだ。

帰宅してから父と電話をした。昨日の騒動で肝心なところは父の口からは発せられなかった。私も言わないでおいた。父を責めても逆効果である。父をとにかくなだめて説得した。ここでの入院継続は納得してくれた。

長い入院で不安もあるだろう。痛みも治まらず自分の思うようにならないことに苛立ったのかもしれない。

しかし痛みが治まらないからといって、昨晩、病院に居ながら救急車を呼ぶという不可解な行動をした。未遂で終わったとはいえ、先行き不安でしかない。

明日、主治医に詫びて前言撤回せねばならなかった。

 

美は痛みを伴う

先に言っておく。歯に米粒をつけているわけではない。

歯列矯正を始めて一年と四カ月。その前に口内環境を整えるという期間があったので、歯医者に通い始めたのはもっと前だ。

この度ワイヤーが外れた。会う人は矯正が終わったと思うだろう。しかし、まだ終わっていない。マウスピース矯正になった。

ワイヤー矯正とマウスピース矯正、どちらもメリットデメリットはある。
マウスピースは付けたり外したりが結構大変だと動画で予習済みであった。その上、手入れも怠りそうで、いろいろ”面倒だから”という理由で選択肢から外した。通っている歯医者ではワイヤー矯正のみ扱っているものとばかり思っていたのだが、マウスピースも体験することになった。

ところどころ、歯の表面についた白い突起物は、マウスピースをしっかり固定するためである。調べると他にも理由があるようだ。この米粒のような突起物のおかげで、しっかり装着されているのはいいが、外す時に痛い。痛みと引き換えに歯磨きがしやすくなったが、マウスピースになってまだ数日、痛みのストレスの方が上回る。

 

 

先月から通い出したピラティス。
”通う”ということに慣れてきたが、体の動きはまだまだ慣れない。

週一で通っているのだが、先週空いた分、余計に体が硬くなったような気がして痛さもいつもより増す。”痛いですよね?”とトレーナーは声を掛ける。もう終わりかと思いきや”あと二回頑張りましょう”と容赦ない。

大きな鏡の前に立つ度、姿勢がとても悪いと実感する。何年かかるだろうと思うほどに歪みがひどい。しかし、これを機に姿勢を直したいという気持ちも強くなる。

続けることで変化もみられるだろう。来週もまた痛みに耐えて、ピラティスへ行く。

 

帰省から戻り 疲労回復中

ふと、指先をみると随分と爪が伸びていた。
出発する前日に切ったきりだ。伸びた爪に気付かぬほど、とにかく疲れていた。

この度の父の入院は、昔から痛みを抱えている膝に人口関節を入れる手術によるものだった。最初の病院で手術をし直後リハビリも始まった。こちらの病院は二週間ほどしか入院できず、リハビリの継続のために転院をした。回復次第退院となるが、父の場合はここで入院できる最長三ヶ月が退院の見込みとされていた。

 

父が最初の入院で準備したものを、転院先にそのまま持っていけば問題なさそうではあったがそうでもなかった。どうも着替えの枚数が足りない。父の手持ちの持ち物と自宅にあるものを照らし合わせて準備をするのは、遠方にいる私は困難であった。しかも、現地に着いてから準備するにも足がない。そんなわけで、連絡を受けてから出発するまでの一週間、着替えの調達のほか、諸々準備に追われていた。

そんななか、樹希ちゃんからラインがあった。何気ない会話の最後に”また今度お茶しに来てね”と記されていた。三日後には出発を控え、その後一週間家を空けることになる。いつもなら”帰省から戻ったらぜひ”と返信しただろう。”また今度ね”とは書かずに彼女の予定を聞いてみた。

翌日、樹希ちゃんの家にお邪魔した。
整理整頓された彼女の家の空間に、余裕のない私の身を置いて、彼女の話に耳を傾けた。すぅーと癒されて、ひとときの楽しい時間を過ごして帰ってきた。

ここで彼女に会って、出発前に英気を養えたことはとても大きかった。その後の怒涛の忙しさは想像をはるかに超えるものだった。

 

東京から直接病院へ向かった。
唯一この時だけである、バスを利用できたのは。駅から病院行きのバスがあることに加え、時刻表までKさんが事前に教えてくれていた。電車が遅れていて危うく一時間に一本のバスを乗り過ごすところだった。駅到着から発車時刻まであと三分というところでギリギリタクシーでの移動を回避することができた。しかし、あとは全てタクシー移動である。今後引越をすることがあっても”交通の便が良いところに住む”は必須条件にした。

父のところで転院手続きを済ませたあと、母に会い、義実家にも寄ってきた。そうして一週間を関西で過ごし、三連休の初日に自宅に帰ってきた。

連休が明けてもまだ体は疲れていた。

 

コミュニティ

ピンポンとチャイムを鳴らすとすぐにドアが開いた。
「はじめまして」の私の言葉を遮るように「上がって」と言われた。

確かに、到着した日にご挨拶へ伺いますと言ったものの、私はまだ名乗っていない。見当はついていたとは思うが無防備である。

同じ団地に住むKさん宅は、父の家と全く同じ間取りである。しかしそうとは思えないほど、最小限の家具が置いているだけで広々としていた。父の話だけではなく、アクティブで多才な、そう70代後半とは思えぬ行動力の彼女の話には驚かされるばかりだった。気付けば一時間も滞在していた。

 

翌日、K さんと一緒に予約していたタクシーに乗って父が入院している病院へ向かった。父の部屋に着くや否やKさんは退院のための荷造りをし始めた。看護師さんの話に耳を傾けている私は身動きが取れない。

転院先の病院でも彼女は機敏に動く。
父がタクシーから時間を掛けて降りている間、彼女はスタスタ歩いて病院の中へ消えてしまった。かと思えば、荷物を載せるカートを持ってこちらに向かってきた。

今回、娘も同行している。身内が二人もいるというのに、私達は全く要領を得ず右往左往していた。

 

 

父の自宅に滞在中、彼女は三度訪ねてきた。ピンポンピンポンピンポン、基本チャイムは連打である。一度だけ、家に上がってもらう機会があった。

帰り際、玄関まで彼女を見送ると、用意した覚えのないスリッパを脱ぎだした。

「これ、マイスリッパ!」

なるほど、彼女は綺麗好きなので妙に納得した。何の躊躇もなく父の自宅の下駄箱を開け、定位置にスリッパを片付けていた。

「Tさんは?」Tさんのことが気になったので尋ねてみた。

彼女が連絡先の登録をして欲しいと持ってきたスマホは、実は同じ団地のTさんのものだということに途中で気が付いた。

「うちに上がって待ってもらってる」

TさんはKさん宅にいる。そんなこともつゆ知らず、こちらもちょうど父のことで伝えたいことがあったので、話し込んでしまっていた。

「ごみ捨てて来るわ」玄関の前に置いてあったごみ袋を持って外へ出て行ってしまった。Tさんは首を長くしてKさんの帰りを待っているだろう。

彼女はこの団地の住人に頼られていた。私もまた父の入院中のあれこれをKさんに託し、ここを後にした。

 

疲労困憊

とにかく疲れた。
何から話せばいいのか、怒涛の三日間だったことは間違いない。そして父の知人Kさんなしでは今回のことは語れなかった。

 

キーボードを打つ手を止めると、すぐに睡魔に襲われた。この頃、帰省にはパソコンを持参するようになったが、滞在してから今日までパソコンを開く暇がないほど、やることに追われていた。任務を終えた三日目、やはり今日はホテル泊にして正解だった。まともな寝床で疲れが取れることだろう。家主が不在の父の自宅は寝心地が悪かった。

 

事のはじまりは、一本の電話だった。
父の転院が決まり、転院先から家族の同行を求められた。今まで何回か父は入院を経験していたようだが、家族の手を借りずになんとかやってきていた。今回の転院に関しても、父が最初に説明を受けていたら”家族は来れない”と頑なに訴えたかもしれない。そう、ずっと疎遠だったのだから。

入院先の清算を済ませ、転院先まで同行して、転院手続きを済ませる。
一文で完結するほど、簡単な任務ではなかった。

病院のことだけではない。様々なことを目の当たりにした。
”やれることしかやらないよ”というスタンスだったが、今回行ったことは大きな意味があった。

 

Kさんの話を語る前に、もう睡魔の限界だ。

 

ご近所さん

「とりあえずご飯のこと考えよう、今から食べに行ってもいいし」
夫に言われ、手を動かさずに口だけ動いていることに気が付いた。

 

”これから帰る”という連絡のラインも、その後の電話も気付かぬまま、急に玄関のドアが開き夫が帰ってきた。携帯を耳にあてていた私はこのタイミングで”失礼します”と言って電話を切った。はじめましての人と随分と長くしゃべっていた。

いつもなら夕飯支度をしている時間帯だ。夫がこの時間に帰ってくるのは珍しい。
”ご飯の準備まだなんもしてない”と言いながら、今しがた電話をしていた相手との会話の内容を喋り出したら止まらなくなっていた。そこで冒頭の夫のセリフである。

昨日の残りモノがあった。冷凍食品もある。電子レンジをフル稼働させて食卓に並べた。今度は手を動かしながら、先程の続きをまだしゃべっていた。

 

父がお世話になっているという同じ団地に住むKさんから聞く話は想像を超えていた。

入院している父が転院することになった。転院先の病院からは家族の同行を求められたが、そこにKさんも同行する。父の強い希望だった。父は遠方に住む娘に頼るより、誰かに頼らざるを得ないのも仕方なかった。これからの長い入院生活中も然り、普段から身内である私が動けないのであれば、私もまたお願いをする身であった。彼女の存在は大変ありがたい。しかしどこまで甘えていいのか、普段から話題に上がるKさんだったが、父の一方的なお願いに実は疲弊しているのか、関係性が分からなかった。

 

タクシーで一緒に病院に向かうことになったKさんに、出発時間を伝える必要があった。今回の同行も含め、父がお世話になっていることに対して、Kさんの本音も少し感じ取れたらと緊張気味に電話をした。

最初の話題はなんだっただろう?本題に入るまで随分とたくさんおしゃべりをした。とても気さくな女性で安心した。またお互い様だと言って、いつも父のお願いごとを快く引き受けて下さっていた。お互い様という要素はなさそうだった。とにかくもの凄くお世話になっていることが分かった。父の普段の様子も教えてくれた。私には気付かぬ変化も長い付き合いの彼女は見逃していなかった。