動物園へ行く

ニュースにはなっていたが、特に気も止めていなかった。

年が明け、二度目の誘いがあった。年末の誘いを一度断っているので、ダメ元でと誘いを受けたが、今回は”ぜひ”と返事をした。

理由は予定が空いていたからだったが、いざ行くことが決まるとちょっとワクワクした。なんだか私だけ観覧するのも気が引けて、家族には告知しておいた。チケットを取るのはかなり苦戦するようだったが、まだチャンスがあるかもしれない。見納めだと知ったのも、私自身、実はごく最近のことだ。それなら行きたかったと言うかもしれない。しかし皆、興味を示さなかった。

前日よりも気温が下がり、結構寒い日だった。年末の帰省直前に購入した白いダウンが役に立っていた。余裕を持って待ち合わせの駅まで来たが、改札口を出るまで結構な距離がある。こんなに広い駅とは思っていなかった。前回、彼女を待たせてしまったので今日は早めに家を出たのだ。しかし今回も彼女の方が早く到着していた。

 

友達に誘われ、パンダの観覧に来た。彼女は今日で四回目、来週のチケットも入手済みだと言う。

毎回べストポジションで観られるとも限らず、ベストショットにお目にかかれるわけでもない。寝ているときもあれば、そっぽを向いてるときもある。私が同行した回は、かなりラッキーだったようだ。近くでよく顔が見えたし、食事をしている様子も写真と動画に収めることができた。

観覧のために並んでいるとき、周りは皆、黒い上着を着ていた。白い服はガラスに反射するからだと彼女が教えてくれた。

後日写真を見返してみると、パンダを映した写真の中に白いダウンを着た私が映りこんでいた。

 

冬の時間

冷たい空気の匂いが、ふと実家を思い出させる。
痩せっぽちの私は、寒がりだった。私が十五になるまでは家にエアコンなんてなかった。キッチンにある石油ストーブだけで、寒い冬を越していた。

記憶は断片的である。遠い昔のことだから、という理由だけではない気がする。写真を見返すことも、思い出を話すこともないからではないだろうか。

幼少期の楽しい思い出さえ、何だっただろうと思えてきた。

 

 

「私」と向き合うのに、どこから触れたら良いだろう。
もちろん「片付けられない」ことが、私にまとわりついているのは事実なのだが、何か違う。

言語化すること。これはとても難しい。あえて具体的に言語化することを避けて、抽象的に表現してしまうことは多々ある。

焦らず、目を背けず、「私」と向き合う。
時間は掛かる。そして、とてもエネルギーを使う作業であることも分かる。

 

己を信じよ

近所の神社で参拝する。
賽銭箱に複数小銭を入れて、我が家も含めて各所を見守ってもらうよう、そして健康でいられるようにと願う。帰り際におみくじを引く。”大吉”と書かれたおみくじを、毎年そうするように鞄に入れて持ち帰る。

初詣を終え、今年が始まった。

 

疲れが取れにくくなったなと感じる。
東京に戻り一時停止ボタンを解除した。日常が再生され、いつものルーティンが始まる。そろそろ勉強を再開しないとなと思いながら、プラス何かをする気力がまだない。

目的のためのいくつかの目標を決め、頭の中ではその過程をぐるぐると考えている。その過程の一歩をまずは踏み出すこと、これに尽きる。

 

目的を達するためには、”己”と向き合うことも必要である。

間違いがあっても、誰かが違和感を覚えても、感じること、発する言葉の”今”に偽りはない。しかし”今の己”になぜという問い掛けをする。問うては”己”を俯瞰してみる。

繰り返し繰り返し、時間を掛けて”己”を知る。

                                                                      

今年も終わり

途中の駅で止まってしまった。
“安全確認のため“とアナウンスがあった。出入口のドアは開けられたままだ。

前日の準備による寝不足でうとうとしていたが、足元に流れる冷たい外気で目が覚めてしまった。

帰省と思われる人々で車内は満席だ。
程なくして列車は出発し西へ向かった。しばらく走り続けると、窓の向こう側に雪景色が広がっていた。

東京での日常に一時停止ボタンを押して、今年の年末も帰省した。

 

一年の半分は勉強だったなと今年を振り返る。

勉強の最中、家事に取られる時間が惜しかったことを思い出した。家事に対する本音は固定観念に囚われたまま、まだ消化されていなかった。

複雑に絡んでる糸をほどくように、少し時間がかかりそうだ。

 

年明け自宅に戻ったら、再生ボタンを押す。
東京での日常が再び始まる。

”日常“を送りながら、糸をほどいて”日常“を変えていく。

メリークリスマス

"目を閉じて"
簡単な英語のフレーズが分からずキョトンとしていると娘が通訳してくれた。次に”手を出して”と言っているようだったので、手を差し出した。

てのひらにはお菓子が載っていた。サンタからのプレゼントだ。

娘が私のことを母だと紹介した。”ヤング”とここだけは聞き取れた。サンタもお世辞を言うのだなと思いながら、マスクをした私は”サンキュー”と答えて握手を求めた。

街はクリスマスに染まっていた。娘に誘われて来たこの会場もクリスマスグッズで装飾され、まるで本物のサンタまでいた。

 

サンタに会った翌々日、偶然遥子ちゃんに会った。
「この前”良いお年を”って言い忘れたよ」と言うと、「メリークリスマスじゃない?」と返答された。今日はクリスマスだった。

今週の初め、グループラインで瑠海さんにも「その前にメリークリスマスじゃない?」と言われた理由は”良いお年を”とスタンプを押したからだった。

 

帰省を控え、自宅に居る今年最後の日が、今年のカレンダーの最後の日のような感じである。やることリストには、帰省の準備とそれまでにこちらでやっておくことが綴られ、頭の中はそのことでいっぱいだった。

 

そうして結局、やることリストはなかなか消えず、前日準備に追われているのである。

 

簡単には終わらぬ掃除

さっきまで慎重だったのに、つい油断して手を洗ってしまい洗面所下がびしょびしょになってしまった。

時刻は17時40分。メーカーの受付時間は17時で終了していた。Amazonのサイトを開いてみたものの、同じモノを見つけるのに時間がかかりそうである。入手できそうな店が隣駅にあるのを思い出し、営業時間を調べる。閉店時間は18時、電話でこれから行くことを伝え、家を出る前にもうすぐ帰宅する息子にラインをした。

”洗面所使用禁止”

ラインの既読を確認している暇はない。赤いマジックで同じ文言を書いたメモ用紙を洗面所に貼って、急いで家を出た。

 

大掃除をするつもりはなかった。
片付けより掃除の方が取り掛かりやすいという理由で掃除を始めたが、はなから水回りと、あと何箇所か簡単にできるところだけのつもりでいた。最初に取り掛かった水回りの溜まった汚れはそう簡単にきれいにならず、時間が結構かかっている。まだ途中だったが、帰省も控えていたので年内の掃除はもう切り上げることにした。

最後にここだけやっておこうと、洗面所の下の排水管に着手したのである。つなぎ目をよくみると部品の一部が割れていた。外して確認していると真っ二つに割れてしまった。

隣駅で部品の類似品を手に入れることができ、事なきを得た。

 

排水管のつなぎ目を外したまま水を出したら、びしょびしょになるのは当たり前である。連日掃除をして疲れているのに、今日の一連の作業でどっと疲れが出た。

 

ウォーキング納め

玄関のドアを開けると同じタイミングで隣の玄関のドアも開いた。
隣人の横を会釈しながら通る息子を玄関から見送った。パジャマ姿の私は顔だけ出して隣人の問いに笑いながら答えた。

「年内は終わりました~」

彼は上着にマスクを装着し、これからウォーキングに行くようだ。私がウォーキングに出る日はこの時間からさらに三十分後だ。ちょうど折り返し地点に差し掛かろうとする時、向こうから歩いてくる隣人とよくすれ違う。

彼の問いは”ウォーキングに行ってる?”だった。

 

先週、遥子ちゃんとウォーキングをした。今週は遠足を決行し、近場の観光地へ出向いた。これで遥子ちゃんと会うのも今年最後だ。

飲食店や土産店がずらりと並ぶ街で、占いも有名だよと遥子ちゃんがいうとおり、よく見るとあちらにもこちらにも看板が出ていた。手相占いをしたいという遥子ちゃんに便乗して、二人並んで一緒にみてもらった。しかし、まるで当たっていなくて笑えた。どちらかというと、言われたことが逆ならしっくりくる感じだった。

さっきもこの店の前通らなかった?と言いながら、私達はなぜか何度も同じ道をぐるぐるした。開店前から並んでいるお店を見つけて、ランチはここに決めた。店員にデザートを促され、お断りしたらデザート付きだと言われ驚いた。隣の席の年配の女性達もお得だと言わんばかりにランチ価格に言及していた。

 

翌日、ランチのお店の名前を遥子ちゃんに聞かれたが当然覚えていない。飲食店はどこも見慣れない漢字を使った店名で、余計に頭に入っていなかった。

グーグルマップでもう一度街を歩いて、ランチの店に辿り着いた。その経緯に遥子ちゃんは驚いていたが、たまたまだった。脳トレ脳トレと互いに言って、ラインの最後を締めくくった。そういえば”良いお年を”を言い忘れたことを翌日思い出した。