まだまだ お付き合い

君がやって来るとは、微塵も思っていなかった。
最後に来た日から今まで、なんの音沙汰もなく時間だけが経過していた。もう一生来ないだろうと、そのつもりでいた。
だから、驚いた。それにいつもは知らせがあるのに、急にやって来たことも、予期せぬことだった。君が来る知らせは、お腹が痛くなるのだ。

後になって、前日、爆食したことが、予兆だったと気付いた。生クリームたっぷりのデザートを食べたうえに、冷蔵庫を何度も開けて、保存してある個包装のチョコをいくつも食べた。間食を控えても、ウォーキングをしても、体重がむしろ増えているのではないのかと、諦めゆえに暴走し始めた行動だと認識していた。違ったのか。

 

 

”月のもの”が来た。
最後に来た日から、三ヶ月以上経過していた。カレンダーに印をしておいたから、間違いはないのだが、感覚ではそれ以上だった。このまま閉経だろうと、疑いもしなかった。

前日も、一日目も、いつもの腹痛もなく、どよ~んとした気分もない。軽く通り過ぎそうだ。と思ったのも束の間、翌日、お腹が痛くなった。薬を服用して、急にムリはよそうというモードになった。土手にウォーキングに行くのを辞めた。

 

更年期障害というワードが頭に浮かぶ。そういえば、気付かぬうちに、ホットフラッシュの症状が治まっている。また同じ症状が出てくるかもしれないし、新たに違う症状が出てくるかもしれない。

体の変化は抗えないことも多々あるだろう。
それでも、悲観せずに上手く付き合っていこうと考える。悲観を上回る感情を持ち合わせていれば、どうにかなりそうである。

 

猫とのひととき

彼女はいつも窓辺にいる。
じっとこちらを見る彼女は、いつも微動だにせず、まるで置物のようだ。
”窓辺にいる猫”とそのままのタイトルをつけたくなる。当たり前のその姿が、目に焼き付いている。

しかし、今日は姿が見えない。
キッチンにある、私宛のメモには、いつもと違う一文があった。
「見当たらなくても、心配しないでね」
死角になっている場所に隠れているらしい。

何度も彼女の名前を呼んでいるのに、ちっとも姿を見せてくれない。
「もう帰るよ」といって、部屋をあとにした。

2階は彼女のテリトリーだが、1階をテリトリーとしているのは彼だ。
再び1階へ戻ると、彼はお待ちかねである。いつも無防備に腹を見せてくる。

 

翌日も、彼らの家へ出向いた。
家主から預かったカードタイプの鍵も、もう使い慣れていた。玄関を開けると、部屋の向こうから、”にゃあにゃあ”と言っているのが聞こえてくる。
1階にいる彼である。彼は、途絶えることなく”にゃあにゃあ”と声を発して、訴えてくる。お腹が空いていたようだ。からっぽの皿に、今日の分の食事を用意すると、すぐさまやって来た。

もう一方、彼女の皿もからっぽになっていて、安心した。前の日、姿を見なかっただけでなく、声も聞かずに帰ったので、様子が分からずにいた。

今日も彼女を呼ぶも、相変わらず返事はない。もちろん、窓辺にもいない。
今日も会えないのだろうかと思ったら、部屋の端っこに隠れていた彼女を発見した。
その姿を写真に収めたが、その写真にふさわしいタイトルは、思い浮かばなかった。

 

この勢いで

宣言したとおり、ごみを一袋、いや三袋捨てた。

 

 

いつものメンバーで、今年は恒例の花見をしそびれてしまった。
年に一度、花見のときだけ外に出る。それ以外は、互いの家を行き来する。ゴールデンウィーク中の急な声掛けに、河川敷を集合場所に選んだのは、花見のリベンジではなく、タープのお披露目が理由であった。

夫が、前から気になっていたタープを購入した。タープは、日差し除けになる長方形の布で、高さを調整して形を変えたりして、いかようにも設置できる。
数週間前にタープ設置の練習のために、夫と私、そして娘も合流して、一度河川敷に出向いている。三人で小さな敷物の上でこじんまりと過ごしたときより、皆の敷物を合わせて大勢で過ごすタープの下が、とても快適だった。心地よい風がとおり、日差しを遮るものがあるだけで、なんだか落ち着くのである。皆にも好評だった。

そういえばと、外で使う折り畳みの机が、庭の小さな物置にもう何年も放置されていることを思い出し、今回はタープとともに持参した。

その小さな物置には、使っていないモノでパンパンだった。
「もう、ここに入ってるやつ、捨てるで」と、その日、夫に伝えておいたので、今日は朝から心置きなく、モノを袋に詰めたのである。

プラスチック製の植木鉢や、昔金魚を飼っていたときの水槽、軍手などを詰めたら、二袋分のごみになった。

 

三袋のうち、あと一袋は、自室から出たごみで、半分は紙類だった。
レシートを溜める癖は相変わらずで、それらと、個人情報が載ったもう必要のない書類、古い試供品とか細々したモノを集めたら、一袋分になった。

 

物置のように、迷わず捨てられる箇所は、探せばありそうである。
来週は、何袋捨てられるだろうか?

 

連休は明けた

”結構時間がかかるな”と心の中で呟いた。
朝早くからコンビニに出向いて、機械の前で”完了”するのを待っていた。

連休と連休の合間の平日に、見知らぬ番号から電話があった。後にどこからの電話か分かったのだが、掛けそびれて、後半の休みに入ってしまった。用件は分かっている。連休明け、朝一で電話を掛け直す前に、用を済ませにコンビニにやってきた。

機械の前で少し待たされたあと、”送信できませんでした”というメッセージが目に入る。
”えっ?お金は?”と焦る。”投入したお金は戻ってきません”というメッセージをみたような気がしたからだ。さすがに、”未送信”では該当しないようで、お金は戻ってきた。

提出先に書類を持参しなくても良いとのことで、FAXを勧められた。しかし、再度試しても、その後、コンビニを変えても、送信されることはなかった。

 

最後にハローワークに出向いたのは、三月の後半で、その後も”いつでもいらして下さい”とは言われたが、行っていない。その翌月末、つまり四月末までの就職状況の報告をする必要があったが、FAXで良いと言っていた。恐らく今後も行く機会はない。

ハローワークに電話をする。やはり、就職状況を聞かれる。書類をFAXで送ることができなかったため、郵送で送ることを伝えた。最後に”いつでもいらして下さい”と言われ、電話を切った。職業訓練校に提出した内容と同じく、未就職に〇をした。

ハローワークに行く度に、持ち帰っていた印刷された求人票は、すべて破棄した。古い情報はいらない。書類選考落ちしたところも、記録として残しておく必要もない。ついでに関連する書類も、捨てた。

 

 

何かを処分すると、しばらくは捨てモードが続いたりする。
ちょうど良い。連休も明け、日常に戻ることで、私としては片付けやすい。誰もいない日の方が、集中できる。

今週の平日の予定、ごみを一袋捨てる。

 

真実はいつもひとつ

「なにやってんの~!」

母親が子供に向かって言う。子供は悪くない。ちょっとした不注意である。
注意のしようもなかったかもしれない。
”なにをやってるの”なんて、仕方のないことなのに、母親は言うべきではない。
あっと思った瞬間、Sサイズの量のポップコーン塩味が、床にぶちまけられていた。

 

数日前、夫と娘が意気投合して、何やら盛り上がっていた。
私も便乗して、三人で映画を観に行くことになった。毎年上映されるこのアニメを、映画館で観るのは、実は初めてだった。

三人並んで席を取ったが、そのうちの一つ、入口に近い席は空席で、トレイに載せたポップコーンがスタンバイしているだけだった。その席の主が、リクエストした塩味だ。

娘がやって来た。席に着き、しばらくして、娘が体の向きを変えた瞬間だった。まだ一口も口をつけていないポップコーンが、宙を舞った。

50代の母である私が、20代の子である娘に、思わず”なにやってんの~”と言ってしまう。娘がうんと小さかったら、たぶん言ってない。

「ママに怒られた~」と芝居がかった口調で夫に訴えていた。映画が終わったあと、娘に謝った。

 

アニメも劇場版も、都度事件は解決し、完結しているので、急に思い立って映画を観に行っても十分楽しめた。しかし、所々でその背景の話が気になった。夫は、映画を観る数日前まで、小学生の主人公が実は高校生だということさえ知らなかった。それ以上のことは、私もちょっとあやふやだ。もっと詳細に知りたくなった。

 

 

真実、つまり嘘偽りのない本当のことは、ひとつ。そこに感情があるなら、”ひとつ”は、形を変えることもあるし、”ひとつ”に付随する、”複数”があるようにも思える。

送り手と受け手では、相違することもあるし、嘘偽りはないはずなのに、言い訳になり得ることも否定できない。

それでも「今」語ることは、語り手の真実ということ。
ふと、”人”の複雑さを感じてしまう。

フィクションの世界に触れて、ノンフィクションの世界を考える。

 

散歩

いつもの土手を歩く。
近くに飼い主はいるものの、たまにリールに繋がれていない犬を見掛けることがある。
この日も、前からやってくる茶トラのような色をした二匹は、リールに繋がれていなかった。首輪すらしていない。その後ろには、飼い主と思われるおじさんが、二匹の歩幅に合わせて自転車をゆっくり動かしている。

二匹は、やはり犬ではなかった。視覚では認識していたはずだが、脳内で処理されるのに間があった。二羽と数えなくてはならない。
あまりに珍しい光景に、飼い主に声を掛けようか迷った。向こうから飼い主とは別のおじさんが、やってきた。彼も少しびっくりした顔をしていた。
彼と私は、二羽に道を阻まれてしまった。飼い主の”すみません”という声と、二羽を道の端に促す様子を見守りながら、私は、結局何も言わず通り過ぎてしまった。同じく道を阻まれた彼も、何か言いたげだったが、そのまま行ってしまった。
散歩しているニワトリと遭遇したのは、初めてだった。

 

歩くことが日課になった。
今日のように午後に歩きに行くと、戻ってから夕飯の準備までの時間があまりないことに、少し不満になって、”時間を取られてしまう”などと考えてしまう。
歩かない日があってもいいと気軽な気持ちでいるわりに、そんなことを思ったりするのだ。

一日の時間の使い方が、自身の”調子”や”気持ち”にも影響する。それはそれで、できないときは仕方ないとも思うのだが、”そういう日”が多いのである。
すでに、一日の時間の使い方の流れがあるならまだしも、そうでないのに、”そういう日”ばかりで、嫌になっている。

 

時間を決めずに歩いていることは、一日の流れが定まらない理由の一つだが、そのおかげで、ひょんなタイミングで外に出たら、ニワトリに出会えたのである。

土手でニワトリに出会ったのは初めてだが、飼い主のおじさんは、もしや決まった時間に散歩しているのだろうか。ニワトリを飼うおじさんの、一日の時間の使い方をちょっと知りたくなった。

 

武器を手に入れた

電話の向こう側で、夫が慌てていた。
急に”現金”が必要だと言う。家に訪ねてきた人物に対応しているようで、外出している私に、お金の在処を聞いてきた。

慌てるのも無理はない。まだまだ先だと思っていた代引きの宅配物が急に届いたのだ。
なんの知らせもなしにと、ぼやいた私だったが、数日後、夫が発送メールを見逃していたことが発覚した。

修理に出していたノートパソコンが戻ってきた。
一部キーボードが効かなくなっていた。外付けのキーボードを購入した方が安価で済むという見解は、夫も、修理受付センターの担当者も同じ意見だった。それ故、このパソコンをどうするか、どこで誰がどのような用途で使うかは、二転三転した。結果、修理代を掛けて、ノートパソコン単体で使えるように復活させ、私のものになった。

しかし、たまたま現金が家にあったものだ。再配達にならず、ほっとする。

 

 

今まで使っていた息子から譲ってもらったデスクトップのパソコンから、この度、娘から譲ってもらったノートパソコンへとデータを移行するため、一旦外付けハードディスクに保存する。デスクトップの画面一杯に並べられたファイルが次々と削除されていく。

これを機に整理をすれば良いのに、とりあえず移動だけしている。モノの整理より、ファイルの整理の方が苦手かもしれない。なぜかフォルダの中身が消えているものがいくつかあった。どこを探してもない。そのうちの一つは、スキャンした書類のデータで、スキャンしたからこそ安心して紙を捨てたのにと困惑したが、中身を思い出せない。つまり、まぁいいかで済ませられる程度のことなのだろう。

デスクトップのパソコンは夫が使うと言うので、データの移行をしていたのだが、現時点では手放せないと気付く。ワードとエクセルがノートパソコンに入っていない。
こちらの行方も、二転三転どうなるか分からない。

 

まだ使い慣れていないが、ノートパソコンを手にして、満足している私である。