解放されよ

何かが欠如している。


「無我夢中に」だとか、「寝食忘れて」だとか、何かに没頭した経験があっただろうか。「確固たる思い」を語ったことがあっただろうか。

「自信のなさ」は、経験の乏しさと、足を引っ張る要素があるからだ。

 

片付けに関する本、ブログ、動画に、数えきれないくらい触れてきた。
共感することも、もちろん多い。

「片付けられない」といっても様々で、本人の捉え方も異なれば、影響を及ぼす相手の捉え方も異なる。

「片付けられない」だけではない。家事全般ができない。
長年家事をし続けているのに、どうにも「できないこと」が「できること」にならない。

「私」を語るとき、代名詞のように「片付けられない」を何度も口にしてきた。
そのあとには「料理も掃除も、家事全般できなくて」と。

「私」が「ここ」にいるから、悩んでいるのだ。
「別の者」が「ここ」に、「私」が「別の場所」にいれば、また違う。
「別の者」とは、今の思考ではない「私」とも言える。

 

過去、幾度となく夫に注意されてきた。
受け手の私は、叱られた、怒られたと表現する。

今では、過去のような場面はないが、発する言葉の端々にいらぬ言葉をくっつけてくる。なんの悪気もなしに。

 

妄想の片付けプログラムは、思考を変えていく手助けもしてくれる。
家族の性格や行動も考慮して、一つ一つ「もの」と向き合う私に、長期にわたって付き合ってくれる。

 

結局、何を語っても、私自身がどうにかするしか、どうにもならないのだ。