散歩

いつもの土手を歩く。
近くに飼い主はいるものの、たまにリールに繋がれていない犬を見掛けることがある。
この日も、前からやってくる茶トラのような色をした二匹は、リールに繋がれていなかった。首輪すらしていない。その後ろには、飼い主と思われるおじさんが、二匹の歩幅に合わせて自転車をゆっくり動かしている。

二匹は、やはり犬ではなかった。視覚では認識していたはずだが、脳内で処理されるのに間があった。二羽と数えなくてはならない。
あまりに珍しい光景に、飼い主に声を掛けようか迷った。向こうから飼い主とは別のおじさんが、やってきた。彼も少しびっくりした顔をしていた。
彼と私は、二羽に道を阻まれてしまった。飼い主の”すみません”という声と、二羽を道の端に促す様子を見守りながら、私は、結局何も言わず通り過ぎてしまった。同じく道を阻まれた彼も、何か言いたげだったが、そのまま行ってしまった。
散歩しているニワトリと遭遇したのは、初めてだった。

 

歩くことが日課になった。
今日のように午後に歩きに行くと、戻ってから夕飯の準備までの時間があまりないことに、少し不満になって、”時間を取られてしまう”などと考えてしまう。
歩かない日があってもいいと気軽な気持ちでいるわりに、そんなことを思ったりするのだ。

一日の時間の使い方が、自身の”調子”や”気持ち”にも影響する。それはそれで、できないときは仕方ないとも思うのだが、”そういう日”が多いのである。
すでに、一日の時間の使い方の流れがあるならまだしも、そうでないのに、”そういう日”ばかりで、嫌になっている。

 

時間を決めずに歩いていることは、一日の流れが定まらない理由の一つだが、そのおかげで、ひょんなタイミングで外に出たら、ニワトリに出会えたのである。

土手でニワトリに出会ったのは初めてだが、飼い主のおじさんは、もしや決まった時間に散歩しているのだろうか。ニワトリを飼うおじさんの、一日の時間の使い方をちょっと知りたくなった。