無音

同じ屋根の下に居て、気配が全く感じられないのも、確かに不安を覚える。しかしガラス戸を閉めても、隣のダイニングからテレビの声が一言一句、私の耳に届くほど、防音効果のない部屋もどうかと思う。
どうしても、声に意識がいく。音楽が流れていても同じで、歌詞を聴いてしまう。何かの作業に集中したいとき、この環境では私には無理である。
夕食後、各々寛いでいるときに、作業をしようとした私の選択が誤りだった。
しかもここは誰の部屋でもない。断りもなく、家族は出入りする。

住空間を考えるとき、子供部屋を一人一人与えようとするのに、夫と私の部屋はない。寝る場所を確保した部屋が一つあるだけで、自分の部屋とはいえない。

 

 

「片付けられない」ことが、及ぼす影響は多々ある。それは、見た目や行動だけでなく、私の心にもある。「片付け」に直接関係なくても、「片付けられない」ことで、思うこと、考えることがある。言葉にしようとするが、上手くまとまらない。ここのところ、そればかりが頭の中にある。

 

いつの間にか、ガラス戸の向こうは電気が消され、静かになった。目を閉じてみる。静寂な空間に、電車の音が聞こえてくる。生活に馴染み過ぎた音は、普段全く耳に入ってこない。しかし、集中すればするほど、今日は電車の音が聞こえてくる。
私の心の中を整理するには、無理そうだ。