蒔いた種を狩る日まで

外に出ると思いのほか、風が強かった。自転車のペダルを踏む足に力が入る。長い髪が後ろになびく。まだ家を出たばかりだったが、橋に差し掛かったところで、橋の向こう側は異世界と言わんばかりに「もう引き戻すことはできない」と脳内で指令される。私は果敢に挑むヒロインのごとく、前へ進む。そういう設定にでもしないと、ただただ目的地までの距離を長く感じるしかなかった。目的を果たすと、すぐに同じ道を戻る。風向きが変わった。

        ***

少々うんざりしていた。やることが山ほどあった。「片付けの終わり」が遥か彼方にある。常に「片付けたい」気持ちが頭の中を支配している。そして常に「片付け」をする。いつになったら解放されるのだろうか。
傍からみたら、ちゃんちゃんらおかしい話だ。「片付けられない」ことは公言していて、皆知っているとはいえ、いつまでゆめ子は片付けをしているのだろうと。

『ゆめ子さん、前向きな気持ちでやっとたけど、やること終わらんで疲れてきたん?』

「みぃ、やることがたくさんあって終わるのかな~って。❛❜今年こそは!❛❜って毎年言ってるから言いたくないんだけど、片付けも気にせず穏やかな年末は過ごしたいよね。そう思うと時間が足りないような気がしてきて」

『大丈夫やって。少しずつやってるやん。まぁ❛❜考えな進まんこと❛❜が後回しにはなってるけどな』

「そう、それが多いのよ」

片付けは「元に戻すだけ」とシンプルなはずだ。しかし「元」を決めてもリバウンドを起こし、「元」がなかなか定まらないものもある。すべてのものが一斉に「元の位置」が決まっているという状態にない。それ故「家族の協力を得る」にも基盤ができていなかった。どこに何を置くかを決めているのは「私」であり、はっきり決められないのも「私」である。「❛❜どこに何があるか❛❜を家族全員が共有していること」も片付けの目標の一つでもある。

「片付けの終わり」を迎えてようやく次のことが考えられるようになる。「片付けられない私」が「片付け」をしやすい収納を考えるには、随分時間がかかる。行動の一つ一つは私が蒔く種であり、きれいに花を咲かせるわけではない。庭一面を覆う雑草のように雑然としている。繰り返し生えないように狩るには根っこから刈らなければならない。

         ***

いるかいらないかではなく、今使ってるか使ってないかで判断するというのはよく耳にする話だ。意識すると処分の対象になるものが随分ある。洋室の一角にある、二段に重ねた引き出し収納の上には、ついこの前まで書類が置いてあった。今は押し入れから出た不用品を積み重ねてある。

『❛❜考えんでもできること❛❜からやってるけど、外に行かなあかんやつはなかなか進まんよな、まぁ天気の都合もあるしな。けどこの前から置きっぱなしになってる不用品、そろそろ持って行こか?』

そう、何度も断念していた。今日が金曜日だったことも手伝って、重い腰を上げて行くことにした。

        ***

橋を往復して、一番近くの「ユニクロ」へ行く。リサイクルボックスへ不用になった衣類を入れたら、すぐさま戻ってきた。行きも帰りも向かい風を浴びて、自転車を漕ぐ足がつらい。汗だくになって帰った私は水分補給する。帰りの橋の上で次の行動を決めていた。足に張り付いたジーパンを脱ぐ前に、洋室の一角から紙袋を持ち出し家を出た。

        ***

ユニクロ」と「不用品を引き取ってくれる店」の二軒を回ることができた。今日の「私」を褒めることにした。やはり気持ちがすっきりする。後ろ向きな気持ちに引っ張られ、うんざりしていた気持ちが少し前向きになる。やはり気持ちよく新しい年を迎えたいと思う自分がいた。