こちら側

この時期、線路沿いに咲くオレンジの花に、つい目が留まる。好きな花は何か、と聞かれて答えた花だ。名も知らない花だったが、友達が「ナガミヒナゲシ」だと教えてくれた。

 

あれは何の時間だったのだろう。放課後のクラブとも違う。
クラスの中でグループを作り、各々好きなことをする。恐らく「興味のあることについて調べてみよう」がテーマだったのだろう。他のグループが何をしていたのか、私は誰とグループを組んでいたのかも覚えていない。
ただ週に一度、家から植物図鑑を持って来るのは、私の役目だった。

 

観葉植物を置こうと言う夫に、快く返事ができなかった。すぐに枯らしてしまうのが目に見えている。
植物に全く興味がないわけではない。けれど、機会がないとなかなか触れることはない。自ら楽しむのは「素敵なお家」じゃないといけないという、思い込みかも知れない。「片付け」が終わらないと、なんだかその気になれないのも一因だった。

 

音楽室、家庭科室、図書室では、決められた場所に「もの」が収められている。
授業の終わりには、皆が元の場所に戻す。もちろん教室でもそうで、みんなが使うものは整然と並び、個人のものも、多少の乱れがある子はいたが、机の中やロッカーに収められている。
私はといえば、時間割通り、順番にランドセルに入れられた教科書は、そのまま机の中に収められ、クレヨンや絵具も、色の順番さえ買ったときと同じだった。

 

どうして片付けができないのだろう。

「片付け」のことは、学校では習わない。
生活をしていくうえで必要な、片付けを含めた家事能力は、どこかで身に付ける必要がある。ノウハウ本を手にして、他人様の言うとおりにできないが、一人で身に付けるのも難しい。

「動ける"みぃ"がいればいいのに」

『せやな』

心の中の私、”みぃ”と一緒に片付けるといっても、体は一つだ。

 

家の外で武器にできるものがない私は、家の中で「主婦」の仕事を全うしなければならない。そういつでも「ねばならない」思考になる。

少しずつ解きほぐれていくなかで、「しんどかった」と言葉にしておかないと、この先進めない気がした。一人ではない限り、一つ屋根の下に住む”あちら側”の思いを考えなくてはいけないが、今はただ私の思いだけを吐き出す作業をする。