“私”

"大丈夫"
みぃが言う。

"私"を表現するのに、言語化が難しい。
潜在意識に潜む何かは、恐らくはっきりしている。俯瞰的に捉えようとすると、感情が邪魔をする。

 

”私“の思考の癖や”私“を形成しているものはなんだろうか?
誰か教えて欲しい。

 

来年掲げている目標とは別に、もう一つ課題を課す。

すでに決めていることは、パソコン関連の勉強を続け技術を高めること。そしてお金に関する知識を得ること。

 

もう一つは、、。

立ち止まって考えること。
事実と感情を客観的に見るために。

口を閉ざして、曇った表情をする私に、みぃは大丈夫と声を掛ける。

“私”の思考を探っていくための方法はなんだろうかと考え込んでしまった。

 

片付けられない“私”は、片付けられない"理由"を探し、常に片付けがまとわりつく“私”と向き合ってきた。
しかし、それとはまた違う。

内に向く感情ではなく、外に向く感情。

事実と感情が入り混じる。感情が上手く処理されず、新たな感情を生む。常に私側からの視点からしか見ていない。

事実と感情を切り離すこと。
"感情はどこから来るのか"
目を逸らさず向き合うことで変わっていく。

私と誰か、言葉と行動、生きると活きる。

 

"大丈夫、うちがおるから"
みぃが言う。