果てしない川

ダンボールの箱で塞がれた玄関を出ようとして、ドキッとする。
鍵が開いていた。

        ***

後ろから足音がした。かなり足早でどんどん近づいてくる。

マンションに入って、集合ポストを通り過ぎたら、四つ目のドアが我が家だった。一番奥とはいえ、世帯数が少ないので、入口からは大した距離ではない。

マンションの前には誰もいなかった。なのに、家の玄関に向かう私に、誰かがもう追い付こうとしていた。後ろから来る人物は、足音の様子から、隣の部屋の紳士ではないことは明らかだ。振り向くと、両手にビールと炭酸水のケースを抱えた配送員がいた。

アマゾンのセールで購入した、我が家宛の荷物だった。

配送の方と会話をしながら、玄関を開ける。そのあと、いつものリズムを崩したようだ。鍵を閉めるのをすっかり忘れていた。

        ***

外から入ってくる「もの」は、かなり減った。
子供が高校生までは学年が上がるごとに「もの」が増え、使わない教科書や学校で制作した作品は押し入れに追いやられていた。しかし今は、学校から家に連れて来られる「もの」はない。
物欲もあまりない。収納ケースをこれ以上増やすことは、御法度だと肝に銘じている。手に入れたい「もの」は片付けが終わってから、吟味したい。そう簡単に「もの」は家の中に入ってはきていないはずだ。

⦅アマゾンから三日連続「もの」が配達されてたで⦆

以前、雑誌に掲載されていた「片付け」の記事は、気力も体力もなくなる50~60代になる前に、片付けようと促す内容だった。しかしこの頃は「50歳からの」、「50代からの」という言葉を目にする。
片付けに関する本は溢れるほど世の中にあった。ひと昔前に出版された本なら、私はたいがい知っていたが、ここ最近は「片付け」の本から少し遠ざかっていた。新聞の広告記事に「片付け本」が載っていたと彼女が言う。「片付け本」は時代が変わっても、永遠に世に出るほど、常に関心を持たれるテーマである。「片付けを始める、ゆめ子ちゃん世代の人が多いんだね」それを聞いた50代に差し掛かる私は、「50歳」「50代」のキーワードが気になった。

溢れる「もの」を追っかけっこするように、片付けても片付けてもキリがない時期には、やはり片付けるのは無理だった。そんな時期が過ぎ、やはり「50代から」片付ける、ということは今なのだろう。

広大なアマゾン川の出口がどこなのか、と同じぐらい「片付けの終わり」も果てしなく、どこにあるかまだみえていなかった。それでも確実に、「もの」は一つずつ、何かしらの方法で家の外へ出る。川の流れのように「もの」は滞らせず、手離し、そして残したものは稼働させる。