半人前

置時計の横に、新しいアイテムが並べられた。
毎朝、そこに書かれた言葉に目を通すようにした。

 

駅を降りて、日傘がないことに気付いた。その上、腕時計も忘れている。
日傘なんぞ、今年の夏に初めて手にした。腕時計も以前は着ける習慣もなかった。今では、毎日の持ち物の仲間入りだ。

そういえば、”今日の言葉”をまだ見ていないことに、夜になって気付いた。
今朝、置時計の横の、三十一枚からなる小さな日めくりカレンダーに、目もくれなかったのは、慌てて家を出たからだった。

 

大きな原動力となり、自らを成長させることも、もちろんあるであろう、”負の感情”を糧にすることには、抵抗があった。
”負の感情”を抱いていると、良からぬ方向へいくような気がするからだ。
”負の感情”ではない何かを探している。決意したことを実行するには、どうにも”何か”が必要だった。

実にいろいろなことが、溜まる一方だった。
とりわけ家事は、一番気になった。どう対策していくかを考えたとき、具体的な方法に加え、感情と体力とも相談する。

極端な二つの解決方法を知っている。”一人”になること、もしくは、同じ空間に居る”誰か”の考えに沿うこと。

”私”は”私”でいるようで、そうでもない。まだ私は”何か”に不満を持っている。
”負の感情”が見え隠れする自分も、偽りない自分だった。

 

カレンダーに目をやった。
彼の作品を目にすると、私の未熟さが浮き彫りになる。

「名もない草も実をつける いのちいっぱいに自分の花を咲かせて」

  (相田みつを相田みつを美術館 こころの暦 にんげんだもの1 .相田みつを美術館 2019年)