朝活を考える

ここの家主は、土地を手放したようだ。
囲まれた塀の向こうは、今まで窺うことはできず、ただ広いことだけは想像できた。
塀が取り壊され、敷地内が露わになった。と同時に、その隣に建つ家屋も一緒に取り壊され、なお広い土地が更地になり、ここも同じ家主だったのかと驚いた。

塀の向こうから、道路の方に伸びた一本の桜の木は、春には道行く人々を楽しませてくれた。しかしその桜の木も伐採され、とても残念な気持ちになった。

 

昨年、夏休みのラジオ体操の案内をみたのは、この家の塀にかかっていた、町の掲示板だったことを思い出した。今は掲示板の代わりに、マンションの建築計画の看板が立てられている。そういえば、今年のラジオ体操は、いつやるのだろうかと気になった。

他の場所に設置されている、それは立派な、というのも以前はこの家にかかっていたような昔からある掲示板だったが、どこもガラス扉のある掲示板に変わっていた。それらの掲示板をいくつか確認してみたが、ラジオ体操の案内はどこにも見当たらなかった。

朝起きて、ベッドの横でラジオ体操をしてみようかという気になった。

 

起きてから寝るまで一日が早く、今の精一杯が習慣になっていることが、最近気になっていた。
愛用の青いノートも久しく開いていないほどだ。当然、そこに書かれたやることリストは消えることなく、また増えることもなかった。もちろん”やること”は山ほどあるにもだ。

ラジオ体操をするにも、ノートを開くにも、そして考えごとをするにも、”やること”を実行するにも、朝の時間を活用するのがいいだろう。
少しずつ、一日の流れを変えていく。