私が居る場所

始発駅が同じ二つの路線は、ときに出発時刻が重なるときがある。

広いホームを挟んで、並んだ二台の電車は、発車ベルと共に動き出す。一瞬、線路が交わるのではないかと錯覚する。まるで遊園地のアトラクションのごとく、臨場感を味わう演出かのように、互いの電車は近づいて、今にもぶつかりそうになる。

すぐに二台の電車は離れていき、各々別の終点駅へと向かっていく。

 

あちらの電車は、パラレルワールドに繋がっているのではないだろうかと、小説ちっくな事を思ってみる。

こちらの電車には、相変わらず優柔不断な「私」が乗っていた。何軒か店を回ったあと、結局最初の店で、明日着ていく洋服を買う。
娘が置いていった洋服を借りようにも、当然入らない。かといって、ごちゃごちゃに入った衣類の引き出しからは、何度見ても、しっくりくるものが出てこない。

買い物を終え、ホッとしたのも束の間、まだ明日の準備の、肝心なところが終わっていなかった。いつもこうギリギリなのも「私」である。

 

あちらの電車には、別の人生を歩んでいる「私」がいるのだろう。
性格さえも違うかもしれない。

何事も即決して、抜かりなく準備をして、そして片付けられる「私」が存在する。
そしてまた、私以外の人間も、こちらと違う生き方をしている。いくつものパラレルワールドが存在し、どこかで、血の繋がった宇稀子と私は、今とは異なる関係性でいるのかもしれない。ずっと遡って、父や母が違う電車に乗っていたら、出会ってもいないかもしれない。

 

私はここでいい。いくつもある、あちらの世界を知る由もない。
私が出会う人は、ここにしか居ない。

 

ここに居る私は、前を向いて歩いている。
以前から興味のあった分野を学ぶと、決めた。

明日は、”学び”ができるか否かを判断される日だった。