立春を迎えて

目の前の光景に思わず”シュールすぎる”と口にした。いや、この場で声を出すのは御法度なので、正確には口にしたのではなく、心の中で呟いた。

”シュール”という単語を使ったことがあっただろうか、ここで使うことがしっくり合っているのかも不明だが、恐らくそんな感じであろう。

夕食時、家族四人は食卓を囲む椅子に座っていた。しかし体の向きは、皆、同じ方向を向いている。声を発せず、黙々と同じものを頬張っている。娘もこのために実家へ帰ってきていた。皆、何を願って食しているのだろうか、私は家族の健康を願った。
皆が東北東を向くと、私の座る場所からは三人の姿が確認できる。同じ向きで巻きずしを黙って食べる姿が、なんとも”シュール”な光景だった。

 

 

暦の上では春を迎えた翌日、雪が降った。
子供達は翌日の予定や出勤がなくなればよいのになと、度々庭を覗く私とは裏腹に、積もっていく雪に見向きもせずに、恩恵だけを受けようとしていた。

午前中、まだ雪が降り出す前、買い物とコインランドリーへ行くための段取りをした。混むことを予想して、10時の開店と同時にコインランドリーへ行くことにした。コインランドリーの後に買い物か、いや、午後には雪が降るというのだから、先に買い物を済ませておこうと朝早くから開いているスーパーへ向かった。
激しい雨や雪など、外出が困難であろう天気のとき、前もって動くことを考えること自体、実は面倒である。それが”家事”であるからであり、それ故、逆に”家事”であるからこそ、面倒と思っている自分も嫌になったりする。

 

 

今日あたり電話をしようと思った矢先、母から電話があった。
母との電話のあとは、いつも考えさせられる。私の小さな決意が生まれ、”いつか”環境の変化が訪れることを願う。
母のことを遠くから見守ることしかできない私は、せめてもの願いを胸に、いつもの神社へ出向いた。
昨日の積もった雪は、もう歩道の脇に少し残る程度しかなかった。