来世で会う

いつものアナウンスを、今日は聞き逃していた。
誰かに押された私の体は、踏ん張っていられず、私も誰かを押していた。

今朝のことなど、すっかり忘れていた。
夫が帰宅後の、最初の会話のやり取りを思い返していた。いろいろ考えていると、ふと車内の光景が蘇った。

申し訳ない気持ちで隣にいた女性に頭を下げた。しかし女性は、とても嫌そうな顔をしていた。

「電車が揺れますので、お気を付け下さい」と、いつも流れる車内アナウンスが、どのあたりを通るときに聞こえてくるのか覚えていない。

途中の駅から、立つだけで精一杯になり、四方八方、私の体は誰かに触れていた。駅に着くたび、その状態のまま、体はどんどんと奥へ流れていく。電車が大きく揺れた。
いつものアナウンスはここへ着く手前で流れているに違いない。手の届くところのつり革を持っておくべきだったと後悔した。
誰もいなかったら倒れてしまう勢いで、知らぬ女性を押していた。

 



”輪廻転生”の意味を調べてみたが、そういうことでもない。
現世での行いが来世になんらかの影響を及ぼし、生まれ変わるという。それについては、共感できるが、悪行に応じて云々と言われても、ピンとこない。

 

人は何周も人生を重ねているのではないかと考える。
前世の記憶などないが、当時の経験が、恐らく現世の私の中に潜んでいる。
そして、ないものねだりをしている現世で、それらが来世では手に入るような気もしている。

片付けができずにいるなら、片付けができる人生を、料理ができずにいるなら、料理ができる人生を、掃除ができないなら、掃除ができる人生を。

 

言葉を発するときの、要素となる記憶や考え方、言葉を聞くときの、処理能力や癖のようなもの、それらの違いから、会話をしたときに、嫌な思いを互いにすることが時々あった。

これもまた、現世だけにしておきたい。来世のために、何かしら経験を積んでおく。

 

 

嫌な顔をした女性と、嫌な顔をされた私。他人のことなど忘れている私がいる一方で、女性は今日一日、嫌な気分だったかも知れない。