向かい風を受けながら、右手は何度も両目をこすっていた。その右手は、時々鼻をつまんで、むずがゆさを抑えていた。
一度治まっていた花粉症の症状が、ここのところ復活している。
とても煩わしかった。
加えて、”乾燥によるかゆみ”と以前診断された手の指の症状が、一進一退を繰り返していることも、煩わしさを増していた。
”煩わしさ”を失くせるものなら、失くしたほうがよい。
結婚当初、シンプルな支出は、夫に教えてもらったエクセルの表を埋めるのに、時間を要しなかった。やがて、家計簿の項目も増え、クレジットカードを持つようになり、管理を複雑にさせた。私にとって、家計管理は難しいものになった。
算数や数学が得意だったのに、数字に触れるのに苦労した。そろばんだって習っていたというのに。
煩わしさを感じることは、様々であるものの、”できないこと”が原因であることも多くあるだろう。
家計に限らず、私のなかの”できないこと”は、独り身なら解決できることもあった。妄想の世界に移動すると、なんともシンプルに生活している。
気に掛けることがないという状態は、ある意味”自由”を手に入れている。
煩わしさから解放されることは、場所を変え、私の役割を変えることだと考えていた。しかし、どこでも”自由”になることはできる。できないことができるようなれば。
同じ方向を向き始めたと思えば、今までの互いの要望が叶えられなかった不満が、時折出てくる。
現実から目を背けたくなるが、”自由”を手に入れるための、私自身の試練である。