開花宣言

春が好きなのは、三月が誕生月だからという理由なのかも知れない。

 

ベランダは一面に濡れ、サンダルのびしょ濡れ具合が、午前中の雨の様子を物語っていた。午後には打って変わって、太陽が顔を出し、空を明るくした。
上着は必要なかったなと思うほど、外は随分と暖かかった。寒いのも、暑いのも苦手な私は、春の気候が一番良い。

 

残念なのは、花粉症に悩まされるということだ。
今年、花粉症用の眼鏡を購入した。

老眼鏡が必要になってから、昔に買ったブルーライトカットだけされた眼鏡は使わなくなったが、花粉の時期には登場する。気持ち花粉を防ぐためだ。
しかし、その眼鏡をどこかで失くしてしまう。モノを失くすのは珍しい。
誤って”捨てる”ことはないので、大概、家中のモノをひっくり返せば出てくる。
今回は、外で使っていて、家に帰ると鞄に入っていなかったものだから、どうあがいても出てこない。

そんなことがきっかけで、新しく眼鏡を買ったわけだが、効果はあるようだ。

 

一つ年を取って、新年度を迎えるというタイミングが、より新たな気持ちを強くさせる。

大木にも関わらず、花も葉もつけない枝だけの木は、桜の木だと気付かぬほどだ。やがて蕾をつけて春の準備が始まる。同じように、秘めた蕾がいくつも私の心にも宿る。ポツポツと一輪ずつ花が咲き始めると、そこからは一気にピンク色に染まる。
私の蕾が咲くまでは時間が掛かるだろうけれど、その一輪が咲いたなら、連鎖するように、そう桜のように、花が咲くことを信じたい。

 

順次、家の外へ

別れの日がやって来た。
最後に”ありがとう”と抱きしめた。

 

息子と娘には、とうに承諾は取ってあった。
洋室のソファーの、しかも座面ではなく背もたれの上に鎮座していた彼らは、子供達の承諾を得てからは、私の部屋の隅へと移動していた。それから随分と長い間、そこに居た。

二体のぬいぐるみを並べてサイズを測る。
近くの薬局で、ダンボールを調達するつもりでいた。もしなければ、そのまま郵便局に出向いて、ダンボールを購入すると、段取りした。
遠出してまで、無償で手に入るダンボールの調達をする選択肢をしなかったのは、天気が不安定なせいもあったが、今日の午前中のうちに、荷造りと発送までを”やる”と決めていたからだった。

調べてみると、郵便局で販売しているダンボールはサイズが足りず、ぬいぐるみ二体は入らない。しかし、薬局で手に入るとは限らない。商品の搬入やダンボールの回収のタイミングによっては、不要なダンボールが一つも置いていないことがある。

郵便局のページをスクロールすると、カバーというものが販売されていた。ゴルフバックやスキー板、他にはボストンバックなどを包むものだ。
それを見て、ダンボールにこだわる必要がないことに気付いた。似たようなものを、今しがた捨てようとしていた。ファスナーが壊れたナイロン製の袋、結構大きいのでこれは使える。

寄付という形で、彼らはこの家から去った。

 


翌日、ごみ袋二袋分の可燃ごみを捨てた。今月に入って、合計五袋分は捨てたことになる。その一部は、捨てると決めてからも放置していたもの、もしくは、使ってもいないのに、何度片付けても引き出しに戻されているものだった。

片付けは簡単なこと、と言い聞かせるのは、少し効果があった。

台所の引き出しから、使っていないキッチンバサミが出てきた。
これもまた、切れ味が悪くなったから捨てると決めて、そのまま放置されていたものだ。新しいキッチンバサミを手に入れて、すでに処分したつもりでいた。何より、毎日開け閉めしている引き出しに入っていたことに驚いた。乱れた引き出しの奥に、ハサミは埋もれていたのである。

Amazonの購入履歴を確かめてみる。
新しいキッチンバサミを手に入れたのは、2023年の4月だった。

 

決めたらやる

部屋の片隅にあった紙袋を自転車のカゴに載せ、橋を渡った。
目的地に着くと、大きい紙袋と小さい紙袋を店員に預け、店内をぐるりとする。欲しいモノを探すのではなく、引き取ってくれそうなモノを確認する。
今週の初め、リサイクルショップにようやく行くことができた。少しではあるが、家からモノが減る。

その日のうちに、もう一仕事終わらせるつもりが、必要なダンボールの調達が億劫になって、見送ってしまう。モノを減らすための、とある所に送る準備である。それを決めるのにも、送り先をどこにしようかと調べるだけで、時間を費やしてしまう。

モノを手に取って、行動すれば、家の中からモノが減る。そう実に簡単なこと、、、だと暗示をかける。

 

 

結局は、私自身が片付けの邪魔をしている。
いるいらないは、すぐに思考が止まってしまうし、体をすぐに休めようとする。
片付け動画ばかりみて、時間が経過する。
洗濯、買い物、夕食作りの合間の時間を上手く使えない。

片付けはしたくてしょうがないのに、壮大なことに挑むという感覚で、とっかかりまでが、なかなか行動に移せない。

 

ダンボールを調達しにいく日の、一日のスケジュールを考える。
送付状もついでに取りにいくことを忘れないことだ。そして、その日のうちに必ず発送すると決めた。

モノを必要か否かの仕分けで終わらず、家の外に出すことで、完了する。
簡単なこと、そう簡単なこと、まずは、自室の片隅から攻略する。

 

どっち派?

「きのことたけのこ、どっち派?」

”私は、たけのこ派”と思わず、会話に参加しそうになった。
小学生の男の子二人が、お菓子売り場にいる。質問した男の子は、たけのこ派で、私と一緒だった。

「じゃあ、コンソメのり塩は、どっち派?」

同じ男の子が別の論争を聞き出す。そんな二択はあっただろうか?
答える側は、いつでも彼と被らない答えだった。
”どちらかというと、のり塩”と心の中で答える私と、論争を繰り出す彼とは、また同じ嗜好だった。

小さなスーパーに置かれているお菓子は限られている。異なるメーカーのポテトチップスがいくつか陳列されているが、どれも全種類は置かれていないようだ。とあるメーカーのポテトチップスが目に入った。コンソメ味とのり塩味が並べられている。

のり塩を手に取って、カゴに入れた。息子はコンソメ派だったかもと思いつつ、他には彼が好みそうなお菓子を選んだ。買い物へ出ようとしたら、帰宅した息子に出くわし、彼から”適当に”とお菓子の買い物を言付かっていた。

 

 

昼間、薬局の入口で見掛けたお菓子を、やはり買えば良かった。
そのシリーズは息子も食べているお菓子だが、店頭に置いているものは、見掛けないパッケージだった。お菓子を控えようと、その一瞬だけ頭によぎって、手が止まって購入しなかった。しかしそのあと小さなスーパーでお菓子を選ぶのが分かっていたなら、買っておいたのにと、少しばかり後悔した。家にお菓子があったら、どうせ食べるからである。

 

新商品であっただろうそのお菓子が気になって調べてみた。そもそも、私の記憶の商品名が適当な認識だったことが分かる。
”まみれ”と”だらけ”の違い。カントリーマームがチョコまみれで、ホームパイがチョコだらけである。恐らく覚えられない。

 

”まみれ”と”だらけ”の各々専用のページがあった。
”まみれ”のページにお目当ての商品を見つけた。”チョコまみれ ザ・ワールド”、アーモンドが入っている。
これを見つけた途端、すぐに誰かに言いたい衝動に駆られた。新しい商品のことではない。専用ページの存在を、だった。”誰か”は、他でもなくクラスメイトだ。数か月前なら、すぐさま教室で伝えただろう。なかでも、お菓子を一緒によく食べていた彼女達には、一番に報告したに違いない。

訓練校で勉強して以来、ホームページを見る視点が変わったのは、クラスメイト全員に言えることだった。

 

調べていくうちに、東京駅で「チョコまみれワールド2024」が期間限定で今日からオープンしていることを知った。”チョコまみれKING”という名の商品が三種類販売されている。しかし、”チョコだらけ”の商品はないようである。こちらは”まみれ派”が多いのかもしれない。

 

捨て活

使えるけど使っていないペン。
回収ボックスがあると知って、躊躇なく選別する。それでも使っていないペンすべてとはいかず、数本は手元に残し、あとは袋に詰めた。

片付けの方法は、いくつも見聞きしている。
”8割捨てる”方法は、その名の通り、ゴミ袋に入れてゴミとして捨てる。フリマアプリやリサイクルショップなどの利用を考えると、手間と時間がかかり、いつまでもそれらが部屋に残されてしまう。それでは、スッキリしない。とにかく捨てる。

それらの関連動画に感化され、とにかく捨てたいという思いが沸々と湧く。とはいえ、実際には、サクサクと捨てられず、手放しても困らないのに判断するのに時間がかかる。しかし、ペンの回収のように、モノの行き先があると、手放しやすく少し気が楽になる。

 

リサイクルショップに行くと決めていたのに、行きそびれた。
すでに近所を二度外出していて、ようやく鼻水が治まっていたからかもしれない。花粉に晒されるのが嫌で、外に行くのが億劫になった。

週明け、リサイクルショップに行くともう一度予定を立てる。行き損ねたのを幸いに、まだ紙袋に余裕がある分、使っていないモノを詰めて持ち込むことにした。

 

旅の記録 ー続きー

先週会ったばかりの母から電話があった。
ちょうどこちらからも、連絡しようとしていた。都合の良い、曜日だったからだ。
あちらは雨がひどく降っているという。こちらも結構降っていると答えたが、まだそうでもなかったことが、後から分かる。その後、西から東へと雨雲が移動し、雨は先程よりも、はるかに激しく音を立てていた。

旅を終えて自宅に戻ってから、無事に帰ったとの連絡をしそびれていた。
同居する小さな甥っ子がラインに気付くと都合が悪いので、タイミングを見計らっていたら、その機会を失った。

母に会ったのは、まだ旅の途中だった。その続きを記しておく。

 

 

大阪駅から少し離れた場所のホテルに滞在していた。最寄駅からも少し遠い。
温泉付きのうえ、何より安く泊まれるので、ここにした。
ホテルの前から大阪駅までバスが出てると知って、なおここが気に入った。窓を開けても、ビルの壁が見えるだけだが、今回の旅の目的には十分だ。

方向音痴で道に迷うので、早めにホテルを出た。
思いのほか、待ち合わせのビルまでスムーズに辿り着き、ビル内をうろうろする。

なにげに目が合った人物に、歓喜の声を上げる。
久しぶりに会う旧友と、ついついここで立ち話を続けそうになったが、外に出てからゆっくり話すことにした。まさか、トイレで会うとは思わなかった。

私達が一番のようだ。旧友との再会は何年振りなのだろうか。
私は一つ手がかりを持っていた。前回会ったときに、パートの話をした記憶がある。つまり、パートを始めた年より、あとに会っているということになる。
やってくる友達にいちいち尋ねてみた。そのうちの一人が、よく覚えているという。娘さんのコンクールを観た足で来たと言った。そう、そうだった。
私達は九年ぶりの再会だった。

六人全員が揃ったところで、ランチの場所へ向かう。その後はカフェへと移動し、私達はずっとしゃべりっぱなしだった。
六人のうち私を含めた二人は関東住まいなので、次回は関東で会おうと誘って、楽しい時間を終わりにした。


翌日、娘と少し大阪を観光した。よく考えてみたら、有名なこの場所も来たことがなかった。今度ゆっくり来てみようという気になった。
時間を空けずに、たこ焼きを二度食べて、大阪を堪能して隣県へと移動した。
最後に義実家に一泊だけして、忙しなく東京へ戻った。

 

旅の記録

"かっこいいね"と雨の中を走る赤い車を、娘と一緒に見送った。

父と会った日の夜、同じ市内に住むよっちゃんと食事をした。
近況はほどほどに、昔話が尽きない。記憶の答え合わせが面白い。同じ習い事をしていたのに、発表会の写真のどこに彼女が収まっていたのか、記憶がない。彼女は彼女で、別の習い事を一緒に通っていたか私に聞いたが、私は体験に連れて行ってもらったきり、通ってはいない。

互いの答え合わせと、離れて過ごした期間のことを知るには、これからもまだまだ時間が必要だ。

滞在するホテルに隣接した飲食店まで来てくれた彼女は、車で帰宅する。彼女が運転する姿を初めて見た。

 

 

帰省の際は、いつも叔母のところにも顔を出す。母も合流して、姉妹の賑やかなおしゃべりが始まる。叔母は、使って良かったという品を母によくプレゼントする。その日もシミを隠すファンデーションをあげていた。

“こうやって使うねん”と言って、私のシミにポンポンして、レクチャーしていた。“明日使ったら?”と言われたが、断った。

叔母の家をあとにし、母に“いつもすっぴんやね”と言われた私は"うっすら化粧をしている"と答えた。

翌日、うっすらにもう一回うっすら重ねて、出掛けて行った。旧友と会うのは何年ぶりだろうか。