父と娘

毎朝日課となっていることを、すっかり忘れ
ていた。案の定、こういう日はいつもの如く、慌てて家を出た。

駅へと急ぐ。途中で新幹線を乗り換え、西へ西へと向かう。

 

私が幼き頃、父がサラリーマンだった時代があったらしいが、その後は自営業で商売一筋だ。

「今年79、80やっけ?」と問うと、「81や」と答えが返ってきた。
今でも昔と形を変えて、同じ商売をしている。

両親はもう何十年も前に熟年離婚をしていて、その後の父の暮らしぶりは詳しくは知らない。離婚するまでも長く別居をしていたし、父と話す機会がほとんどなく、今に至る。

そのせいなのか、遠慮というかなんなのか、意思疎通に少し欠けたりする。

今日の待ち合わせも、互いに見えない場所で待ちぼうけだったし、駅近くで食べると言うのでネット検索を懸命にしていたのに、ショッピングモールを案内されるし、といった具合だ。

ショッピングモールの中には、いくつか店舗があったが、父がよく訪れるという、ファミレスに決定した。

父が、"ここのミラノ風ドリアがオススメ"というのを、世間も周知しているのを知らないかのような口ぶりだったので、ちょっとおかしかった。
少しばかり親孝行をさせてくれても良いのに、昼食代の予算を大幅に下回る。

ここへ来るまでとは違って、私と娘を前にして席に着くと、饒舌に自分のことを語り出した。
初めて聞く話も多く、その内容に「コミュニケーション能力高いなぁ」と言ったほどだ。

本職の商売の傍ら、いろいろなアイディアを考えては実行しているらしい。もちろん全てが成功するわけではないが。

サラリーマンの職業は、新しいことを嫌う、会社の組織が自分に合わないと言っていた。

父ほどのパワーには圧倒されるが、父が娘に言った「僕に似ている」は、私も同感だった。

 

 

幼馴染のよっちゃんに再会した話に触れる隙間もなく、父のことばかり延々と綴ったのは、なぜだろう。

 

 

ホテルに戻って、大浴場に向かう。
今朝忘れた日課を、ここでする。私を乗せた機械が表示したデジタル数字は、昨日より少し増えていた。

モノを減らす

燃えるゴミを二袋、燃えないゴミを一袋の半分ほど、捨てた。
燃えないゴミの方は、捨てると決めてから長らく放置していたものだった。それらは、台所用品ばかりで、恐らく捨てたモノを記録に収めようとした当時の私が、とっておいたものだ。

ちなみに、片付けているのは自室である。
とりあえず、なんでも持ち込まれているので、娘がこの部屋を使っている頃に比べて、随分と雑然としていた。

30分のタイマーをかけて、片付けては休憩を繰り返し、トータル4時間を費やした。その割には、部屋はパッとしないが、ゴミを出したことの達成感は得られた。

 

 

今まで、何度も”いる”か”いらない”かをやってきて、”いらない”モノは処分してきたつもりだ。しかし、その度にずっと”いる”に分類されて、且つこれまで結局使っていないモノが、結構ある。モノによっては、また”いる”に分類しようか、正直迷ったりもする。

もう辞めよう。片付けばかりに時間を費やすのは。
整然と並べるところまでは、今は考えないことにして、モノを減らすことに集中する。


片付け動画を漁っていると、実家のモノの処分に困り、業者に頼んでいる内容も多い。ただひたすら、テキパキとゴミ袋に入れていくさまに、やる気を奮い立たされる。

今ある”やる気”が失せぬうちに、明日もまたタイマーをかけて、ゴミを出す。

 

西へ行く

青い空に、小さな白い雲が浮かんでいた。
その光景を写真に収めたとしても、美しくはない。ゆらゆら揺れる電線が邪魔をしていた。

天気は良いが、随分と風が強い。花粉を浴びて帰宅すると、すぐさまくしゃみが出た。
そうだ、マスクも必須だと気付いて、早速持ち物リストに書き加えた。
来週の気温はどうだろうか、コートは邪魔かなと考えながら、また苦手な荷造りに時間がかかるのだろうなと予想した。

今年は会おうね、が実現する。昨年も友達の帰省に合わせて、実現に一歩話が進んだかのようだったが、結局そのままになってしまった。
グループラインに全員の名がないのが心残りだが、連絡手段がもうなかった。

 

大阪へ出向く。
必然的に帰省も兼ねることになるので、その前後の予定を立てた。
西から順に、一府二県の四ヵ所を回る。

父に会おうという気になったのは、娘が同行することも理由の一つだが、幼馴染のよっちゃんが父と同じ市内に住んでいるという理由も大きかった。

昨年、何十年ぶりかの再会を果たしたよっちゃんに、帰省の時は声を掛けるねと伝えていた。今回は大阪の予定ありきで、日程と移動順番を考えると初日の”その日”しか提案できない。その日は仕事だというよっちゃんだったが、夜なら会えると時間を作ってくれた。
父に会うのはついでの気持ちだったが、心のどこかで最初から会おうと決めていたのだと思う。きっと”私の役目”を意識したのだろう。

 

いろいろ考えさせられることはある。
クリアな頭で考えるためにも、ごちゃごちゃモノが溢れている部屋の片付けを、早く終わらせておくべきだと痛感する。

 

しゅうかつ

ダイレクトメールばかりの受信箱をチェックしていると、見覚えのある差出人から”要返信”と記載されたメールが届いていた。
事前に聞いていた報告日が近づいていたので、そのメールの内容については、ここのところ気にしていた。

期待に応えられるような過去形の報告はなく、”○○予定”と未来形で返答する。
返信内容が、芳しくなかったせいか、再度送られてきたメールには、丁寧な文面の中に、活動が少ないようですとの文言が記載されていた。

 

職業訓練校へのメール報告が終わった直後、今度はあちらに行く予定が入っていた。約束の日は時間も指定されていたのだが、前日になってキャンセルをした。
訓練修了後は、ハローワークの担当者に、”いつでも”いらして下さいと言われていた。それは、相談事がなければ”いつまでも”行かなくて良いと捉えていたが、そうではないらしい。

憂鬱さからではあるが、腹痛も少しあり、あながち体調不良も嘘でもない。それを理由にキャンセルしたものの、どのみち行くのならと、先延ばしせずに二日後には出向いていった。

ハローワークを出ると、知らない女性に声を掛けられた。その瞬間、友達が言っていたことはこのことかと、女性の正体が誰だか分かった。保険会社の人が、私を勧誘しているのである。それは、保険の商品ではなく、仕事を探していないかという内容だった。年齢的に声を掛けられる対象なのだろうと想像した。

 

すぐにその場を去るつもりが、女性と別れた場所で、足止めされた。工事のためにまっすぐ進めず、あちらの道へ行くため信号を渡らなければならない。
後ろから、「ボタンを押さないと信号変わらないわよ」と声を掛けられた。
「ありがとうございます」と言ったあと、ボタンを探すのにキョロキョロした。が、その瞬間、信号が青に変わった。
せっかく教えてくれたボタンを押さなかったので、「青になったので」と声を掛けると、「ボタンを押しておいてあげたの」と言われた。

私のために押してくれていたのは明らかだ。なぜなら、彼はこの信号を渡らない。
「ありがとうございます」と、ボタンを押してくれた、がたいのよい工事の警備員さんにお礼を言って、駅へ向かった。

 

 

もう一つの、”しゅうかつ”も課題である。
この頃、片付け動画で、”8割捨てる”という言葉がやたらと目に入る。実践すると人生が変わるという。少しずつ処分はしているが、確かに景色も環境もなにも変わらない。

まずは引き出しからと、文房具の分別を始めるも、どうしてもどれも使うのではないかと、捨てるのを躊躇する。
後々、誰かが今ある大量のモノを片付けるような負担になることはしたくない。だが、頭で考えていることと、手を動かさせずにいることで、どうにも矛盾が生じている。

何事も覚悟を持って、動く必要がある。
遅ればせながら、今年の活動のための気合いを入れる。

 

こんな日

踏切の向こう側にいる女性が、知っている人によく似ていた。
勤務時間中にここに居るはずもなく、あまり見るのも失礼だなと、視線を逸らそうとした時、彼女は私に手を振った。似ているのではなく、本人だった。
上下線の電車が通り過ぎる間が、妙に長い。もう彼女だと分かってからの、踏切が開くまでの時間を持て余してしまう。その間、携帯電話に目をやった。ちょうど12時を過ぎたところだった。
なるほど、彼女は昼休みに自宅に帰ってきたのだと理解した。そういえばこの辺りに住んでいると言っていた。

 

前の職場で一緒だった昼休み中の彼女に、なんでここに居るのと聞かれ、百円ショップまで散歩を兼ねて歩いてきたのだと答えた。片道20分の距離をちょうど帰るところだった。
彼女と別れてしばらくすると、高齢の女性に声を掛けられた。

「今日は暑いですねぇ」五月並みの気温で、確かにとても暑い。すでに30分ほど歩いている私は、少し汗ばんでいた。

「そうですねぇ」と答えた私は、彼女に会釈をした。通りすがりの人、みんなに声を掛けているのだろうか。全く知らない人だった。

 

その先の、ちょうど十字路に差し掛かろうとしたとき、左手から来る自転車が視界に入り、気を付けようと意識した。

「ゆめ子ちゃん!」

自転車に乗った樹希ちゃんと、出会い頭に会うタイミングに笑ってしまう。

 

家に帰ると、少し頭痛がした。暑かったからか、花粉のせいなのか。夜、友達と会うまで時間は十分ある。それまでには治まるだろう。しかし、上の階の工事の騒音には参ってしまう。布団の中に頭を隠して、少し横になる。

この頃みんな揃うのは難しく、参加できる人だけで集っていたが、今日、全員が揃うのは珍しい。待ち合わせ場所まで自転車で行ける距離だが、迷いなく電車を選択した。帰りは雨が降るかもしれない。駅に近づくと、電車から降りてきたであろうたくさんの人とすれ違う。
その中の一人に、「..ちゃん!」と私を呼んだ人がいた。私を下の名前で呼ぶ人の方が少ない。苗字の頭にちゃん付けをした愛称で、彼女は私を呼んだ。

 

なんだか今日は人によく会う日だった。

 

春一番

待合室の椅子が足りないほど、混んでいた。
時間潰しに携帯電話を眺めるのを躊躇する。自覚のない症状が、悪化するかもしれない。確かにパソコンや携帯電話を使用する時間が、大幅に増えていた。目を酷使しないよう、パソコンの使用に制限がかけられたらどうしようか、と考えた。

 

結論から言うと、心配する症状はなく何でもなかった。
迷いなくここへ来たのは、家族が世話になったことがあるからで、自身のかかりつけ医がないことに、改めて気が付いた。

上下、左右と口で言う方向に、手も動かしていた。特に右と左が分からなくなる。
リズミカルに正解を言い当てるので、文字はどんどん小さくなる。学生の時ほどではないが、視力は何年も衰えない。他にいくつか検査を受ける。結果、健康診断で指摘された”疑い”は晴れた。

 

 

カランカランと、物音がした。何かが風に煽られ、落ちたようだ。
ゴーゴーと音を立てる風は、窓を閉めた部屋の中まで聞こえてくる。三寒四温という言葉のように、暖かくなったり寒くなったりを繰り返し、春の訪れを知らせてくる。
しかし、手離しで喜べない。先日から花粉症の症状が少し出始めている。なるほど、眼科が混んでいた理由は、そのせいかも知れない。

 

寒い冬の次は、花粉、梅雨ときて、暑い夏が来る。一年を通して、いろいろと付き合わなければならない。それを動きが鈍くなる言い訳にしていたら、結局、いつまで経っても動けない。ただ嫌なこと、苦手なことに向き合うことに億劫なだけである。

何かに制限が掛けられる前に、動けるうちに動いた方が良い。いろいろと考えさせられる健康診断の結果は、良いきっかけとなる。

 

健康管理

深呼吸をした。
時計を見ると、16時を過ぎたところだった。アラーム音で起こされてから、30分ほど経過していたが、嫌な夢の消化がまだ終わっていない。

 

昔住んでいた、実家の一階の一室に、母とまだ幼い息子と居た。私は、二階に身を隠そうとしたが、息子を母に預けていくわけにはいかないと、思い直したその一瞬で、タイミングがずれた。鉢合わせたしたくない相手が帰宅した。
慌てて、窓から外に出ようと試みるが、外は雨がザーザーと降っていて、断念した。結局、顔を合わすことになるが、一刻も早く自宅へ帰ろうと、幼い息子を説得していた。

 

こんな夢をみたのも、昼間、母と電話をしたからだ。今回はこちらから電話を掛けたが、先週に続き、日を空けずに話すのも珍しい。母と電話をしていると、必ず出てくる登場人物に、複雑な感情が押しよせて、いつもしばらく引きずってしまう。

 

 

 

案内のとおり、きっかり三週間後の今日、健康診断の結果が届いた。
封を開け、見開きになっている紙を開く。じっくり順番に項目を追う。というつもりだったのだが、紙を開く前に、表に書いてある”D”の文字が目に入り、何の項目に引っかかったのか分からないまま、再度病院に行くことだけが、確定した。

ちらほらある”B”の文字も途端に気になりだした。暴飲暴食をしているつもりもない。不摂生というほどではない。自覚がないだけだろうか。確かに意識して健全な生活をしているわけでもない。

寝る時間は0時をとっくに過ぎた頃で、何時に寝ても起きる時間は変わらないのだから、昼間に睡魔が襲うのも無理はなかった。昔は平気だったことも、年齢的に抗えないこともある。ちょっとした睡眠不足も、恐らく不健康になり得る事柄の原因の一つで、探せば他にもありそうだった。

改善できるところから、一つ一つやっていく。まずは、早く寝ることから。