カケルもの

一方通行で幅の狭いこの道は、裏手にメインの道があるため、通る車も限られていた。視線の先に止まっている車も、この通りにある店のロゴが入ったトラックだった。ちょうど搬出入作業が終えたようで、私がその店の入口に着く前に、トラックは次の目的地へと走り出した。
灯りのついた店内に人の姿は見えなかったが、大概そうだった。客の来店を知らせる音は自動ドアが開くと同時に鳴る。今しがた搬入を終えた店内では、受付の裏側で忙しくしているに違いない。受付に人が出ていないのも尚更だろう。
自動ドアの「少し触れて下さい」にそっと触れた。反応が悪かったようで、強めに触れる。三回繰り返しても開かないドアの前で一度動きを止めた。視線をずらして知りたい情報を探す。営業時間前だった。知らぬ間に変更になっていた。

 

夕方、そろそろ買い物に出ようと準備をする。財布の入った鞄が視界に入った途端、今朝、出鼻をくじかれたことを思い出した。この時間になるまで、出直そうという気も起こらなかった。なんなら今も迷っていた。
鞄からはみ出したプラスチックのハンガーは10本以上あった。和室の押し入れから出てきたハンガーは、その倍はあったが、半分は返却先が異なる。近所に二店舗あるうちの一軒のクリーニング店を訪れたのは、今朝のことだ。クリーニング店を利用する頻度は少ない。ついでに行く予定が近々あるわけではなかった。鞄の中のハンガーはそのままに、外に出た。スーパーとは反対方向にあるクリーニング店に向かった。

 

ハンガーラックにかける洋服も、物干しにかける洋服も、クリーニング店のハンガーを使用していた。娘だけはハンガーの形がつくのを嫌って、丸みを帯びたハンガーを使う。本当はどのハンガーもそうしたいのだが、一度購入したら早々に買い替えたりしないだろうと思うと、慎重に選びたかった。とはいえ、それに費やす時間は確保せず、なんとなくクリーニング店のハンガーを使い続ける。何かを解決する日が、いつも先の方にある。それまでの過程を考えると億劫になり、とてつもなく時間がかかるだろうと思うと、後回しにしてしまう。

優先順位をつけるのが難しい、かつ苦手である。期日のあるものは期日内にできるのだが、「最初にやると後が楽になること」が、実は「優先順位が高いこと」であるという認識が乏しい。

「片付け」の中に、「最初にシステムを作っておくとよいもの」は多々あると感じてはいる。これは時間がかかるものであるし、本当は時間を「かけるもの」なのである。

青いノートの升は埋まっている。もう一度、やることリストを見直した方が良さそうだ。それもまた時間を要するのだろう。「ハンガー返却」の文字を赤い線で消して、青いノートをそっと閉じた。

規格外

白く塗られた木製の引き戸は、厚さが3㎝あった。少し重く感じるのは、毎回すんなり開かないせいでもあった。引き戸を開ければ、上段と下段を仕切る板がある。機能は押し入れと全く同じで、ここも「押し入れ」と呼んでいた。
引き戸を開閉するたび、蓋付きの収納ケースが少しつっかえる。開閉頻度は少ないとはいえ、毎回不便さを感じていた。押し入れ用の収納ケースが「押し入れ」にうまく収まっていなかった。

和室の押し入れに万年床の布団を収納するため、あれこれ考える。こちらもあちらも「押し入れ」のなかはぎゅうぎゅうだったが、良い案を思いつく。和室の押し入れから、洋室の押し入れへ、収納ケースを移動して空間を作るというものだった。

そうだったと気付く。「良い案」は却下され、和室から運んだ「引き出し型の収納ケース」は元に戻された。引っ越し後に、ここに収まらない収納ケースがあると気付いた。それはうまく押し入れに収まっていない「蓋付きの収納ケース」のことではなく、奥行が76㎝ほどの「引き出し型収納ケース」であった。いつしか記憶がすり替わり、勘違いをしていた。
押し入れ用の収納ケースはメーカーが違えば奥行も様々だった。しかしどれも「押し入れ」に入るのが前提である。「押し入れ」側の奥行が足りないとは思いもよらないだろう。

洋室の「押し入れ」は「奥行がほんの少し足りないこと」以外にも使いづらい点がいくつかあった。息子の部屋にあるということ、湿気がこもりやすいこと、部屋と押し入れはつらいちではなく、段差があること。収納できるものが限られてしまう。

部屋を見渡すと、天井や壁にでっぱりがあった。マンションの特徴である。模様替えを考えるときも、そのせいで断念せざるを得ないことも多い。

片付けられない私には、このようなことが困難を増やすのだった。

時々訪れるチャンスの日

昨晩は、なかなか寝付けなかった。いつもより二時間近くも早く床に就いたのだから無理もない。リスクを伴うことを考えると、もうこの時間もギリギリだった。

朝4時半起床。と同時に夫を起こす。すでに昨日のうちに準備は万端で、夫を送り出すまでの朝のルーティンは牛乳を注ぐことだけだった。5時前に夫は玄関を後にする。
このまま起きて活動すれば、有意義な一日が過ごせるだろう。しかし、必ず昼間に睡魔が襲ってくることは明白だった。再び布団に入り、携帯電話のアラームをいつもの時刻にセットする。

一つ、自分に言い聞かせていたことがある。「期待しすぎないこと」

今まで幾度もこういう機会はあったが、毎回「やりきれなかったこと」に落胆する自分がいた。そのため、この頃は夫の出張中も普段どおり過ごすことにしていた。ここぞとばかりに、あらゆることをシャットアウトし、後に回せることは先に延ばし、気合を入れてしまいがちである。夫の居ぬ間に、驚くほど片付けようなどといつも思ってしまうのだ。

洗面所とキッチンを除くと、備え付けの収納は和室と洋室にある押し入れだけになる。片付けを進めるなかで、この二間分の押し入れが要であると感じていた。ここが攻略できれば、あとは難しくないような気がしていた。

和室には二組の布団が出しっぱなしになっていた。以前は押し入れに収められていたはずが、片付けを繰り返した結果、いつしか他のものに占領されてしまい、収納場所を失っていた。
「布団を押し入れに収納できるようにすること」目的はこれだ。
ただ忘れてはいけない。「期待しすぎないこと」気負わずやることにした。

全てのものを押し入れから出した。和室いっぱいに溢れるものをみても、今晩この部屋に寝床を確保する必要がないという安心感があった。すでにぎゅうぎゅうの押し入れに、二組の布団を収納するには、いらないものを処分しただけでは追い付かない。ハンガーラックを二つ、外に出した。
青いノートに描いた「押し入れの中の配置図」どおりにはいかなかった。
押し入れの中には、布団のほか、ここがベストであると思うものを収めた。外には、いるものもいらないものも、溢れ出た。「和室の押し入れ」と限定しても、出張の間には片付けが終わらないのだ。夫が帰ってくる前に、何事もなかったように溢れたものを一旦戻すことが常だったが、今回は出しっぱなしにした。一つずつ仲間のところに収める、もしくはあらゆる方法で処分をする、見える状態にして毎日少しずつ片付けを進めることにした。

夫が出張から帰ってきた。私の寝床はソファーから和室に戻った。

私のベクトル

名もないまま、鞄の内ポケットに収められていた。そういうところがあるのも私らしい。

        ***

「片付けられない」ことの後ろめたさが、いつも赤信号を灯らせていた。そこに留まっているよう強制をされているわけではない。きっと、いつでも信号を渡って良かったのにと言われるのだ。信号待ちをしているのさえ、気付いていないのかも知れない。押しボタン式の信号は、自分でボタンを押さなければ渡ることはできない。「片付けの終わり」を迎えていない私は、まだボタンを押すことができずにいた。優先すべきは車なのだから。

「私」について考えるといろんな想いが駆け巡る。矛盾が生じたり、落ち込んだり、前向きになったり。

信号もなく、車も通らない横断歩道を「私」の気分やタイミングで渡りたい。こっちの道がいいよとか、今のうちに渡るといいよとか、一緒に渡ろうよとか、一度耳を塞ぎたい。曖昧な気持ちが、どちらでもいいになり、そうしようかなと思う「私」はここにはいない。どの道を通るかは私が選択する。

        ***

たくさん並ぶ小瓶から、心地よいと感じる香りを三つ選んだ。ブレンドしたらオリジナルになる。まだ名も決まらない香りは、ラベルを貼らないまま鞄の内ポケットに収まり、家路につく。思うまま名付ければよいのに、その場で言葉が思いつかない。名がつかなくてもいいのだと思いながら、特別な名前を探そうとする。
もう一度香りを鼻に近づける。

<私のベクトル>

そう名前を付けることにした。

ノートの課題

肌にあたる空気が動いた。庭先をみると、木々の葉が揺れていた。アジサイの大きな葉も、庭一面の雑草も揺れていた。ベランダの手すりには珍しい訪問者がいた。ゆっくり歩く姿をつい見入ってしまう。ベランダから庭に出るところで、手すりは途切れている。端までたどり着いたカマキリはその先がないことを知り、そのまま動かずじっとしていた。幾分か暑さの和らいだ朝だった。

B5の青いノートは残り数ページになっていた。見開きで三週間分の予定が書けるよう、ページに線を引く。もう老眼鏡なしでは、ドットが見えていなかった。三週間目の土日が近づくと、次の見開きページに線を引く。すでに、電話でのやり取りのメモや、お金の計算や、間取り図で埋まっていることもある。なんでもこのノートに書き込んだ。決して漏れのないように。
ノートの最初のページが何月かすぐには分からなかった。最初の升は中途半端に八日になっていた。曜日と日付が合う月が、何か月遡っても見当たらない。ようやく辿り着いたのは昨年の11月だった。書き込まれた内容をみて、そうだったなと思い出した。掃除をする箇所が書かれている。早くから少しずつ大掃除を始めようとしているのが分かる。結局、終わらなかったことを覚えている。他には、カード、携帯、年金とそれらを調べようとしていた形跡が見て取れる。今でも赤線で消されることないワードは、ノートの後ろの方のページに再度記載されていた。

平日、何もしないという日はこの頃なかった。それでもノートの文字に赤線を引く箇所は限られている。それ故、「片付けの終わり」の期日を決めるのを避けていた。ガラスの引き戸に張り付けてある、二か月ごとにめくるカレンダーはあと三枚しかなかった。今年はもう折り返していた。

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『ゆめ子さん、期日を決めんでもええで』

「決めるのも決めないのも、なんかなぁ」

『大丈夫やて。やることリストは必ず終わるから』

「う~ん。次カレンダーをめくるとき、どのくらい終わってるかな」

リズムを上手く刻むこと

網戸越しに見える庭の雑草が、日陰でゆらゆら揺れていた。それとは違い、手前の雑草は太陽の光を浴びて微動だに動かない。室外機の熱風で揺れる雑草は、敷地の向こう側に建つ家のエアコンの稼働を知らせてくる。窓を開け扇風機で暑さをしのぐ私は、雑草の成長ぶりを見て喉の渇きを増す。午後にはこちらの室外機も稼働するだろう。エアコンをつけても消しても、快適とは言い難かった。洗濯物が乾かないと言っていた梅雨の時期は、梅雨明け宣言によりあっけなく終わってしまった。夏が到来した。

 

所属している先があっても、必ずしも毎日通うとも限らない。それに高校生までの学生のように、朝から夕方まで留守にしているともいえない。成人している息子も娘も、ただ外出の予定がない時間、家にいるだけだ。
所属先すらない私もまた、家にいる時間は長い。外出予定がなければ家にいるのだから同じである。あちら側からすれば、パートを辞めた母が家にいるようになったともいえた。こちら側はようやく片付けの時間が持てたのにと、リズムが掴めずにいることにモヤっとしていた。
湿気の鬱陶しさや、熱中症のニュースが毎日流れるほどの暑さや、家族の生活リズムに翻弄されていては、いつまで経っても何もできない。それに加えて「やる気」を待っていては、条件が揃うのは難しい。朝早く出勤し夜遅く帰ってくる夫も、いづれは生活スタイルが変わることも想定しておかなくてはならない。いつなんどき、誰でも、違うリズムを刻むことがあるのだ。不愉快な音を刻むより、調和しているほうが望ましい。

リズムを合わせたり、何かを譲り合ったりしているつもりが、一方が、なんなら両方が不満を残すこともある。何かをすることの負担の大きさも人によって違う。それらを知らないままということもある。

「大人」のカテゴリーにいる人ばかりが生活する我が家。生活リズムをあわせるのではなく、協調性を持ち、融通し合うというのがしっくりくるのかも知れない。

「片付けられない」私は「片付ける」前に、あれこれ考えてしまう。このリズムの中で、今できる「片付け」をこなしていくことが、「片付けの終わり」への近道である。

エプロンからみえること

ほつれた糸を目にするたび、気にはなっていた。ひととおり家事を終えたところで、お腹の前のちょうちょ結びをほどく。糸のほつれのせいで、元の幅より細くなった紐は絡み合い、ほどくのを手間取らせていた。色褪せたエプロンがようやく体から離れたとき、左手には先端から結び目までの短い紐を、右手には左右の紐の長さが違うエプロンを手にしていた。

 

以前に比べ随分ましな状態だった。食器をしまう、洗濯物を畳む、掃除機をかける、朝のルーティンを終えたあとは、一見「片付いている」ふうである。物はどこかには収まっていた。

洋室の端にある二段に重ねた引き出し型の収納ケースの上は、とりあえず置くのに格好の場所だった。押し入れから出した書類をその上に置き、こたつ机の上で広げるという流れで、この頃書類整理を日課にしていた。

ズボンの修繕のために出したミシンは、用事を終えても元の場所に戻らず、収納ケースの前に置かれていた。偶然、立て続けにミシンを使う機会があったが、最後に使ったのは10日も前だ。衣装ケースに引き寄せられるように、物が集まりだしてきた。油断をしたらすぐこうである。

 

ある公園の催しで、ハンドメイドの布の作品が販売されていた。かわいい作品がたくさん並べられているさまは、みるだけでもワクワクした。今使っているエプロンはその時出会ったもので、唯一私が選んだものだった。それまでは結婚のお祝いなどで頂いたエプロンばかり使っていた。

エプロンのちぎれた紐に代わるものは、洋裁箱の中にいくらでもある。色が褪せたエプロンを改めてみると、思った以上に年季が入っていた。取れずに諦めたシミもある。紐だけ付け替えることはやめて手放すことにした。押し入れにはエプロンを作るのに、ちょうどよい端切れがあったと記憶している。紐と布があればよい。ミシンを使うのはだいたい修繕が目的だったが、久しぶりに使ったミシンは、実は縫うことが好きなのだと思い出させてくれていた。ミシンを片付けようと思った矢先だったが、ちょうどよかった。
再び思い直す。端切れの柄も悪くはなかったが、新しく布を買いに行くことにした。「私」が好きな柄を生地屋さんに選びに行く、きっとワクワクする。

シミのついた色褪せたエプロンの結び目は、今はお腹の真ん中ではなく、左に少し寄っている。ちょうちょ結びができるほど、紐の長さに余裕はない。ミシンはまだ収納ケースの前にあった。

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『ゆめ子さん、いつ買いに行くん?』

「せっかく買いに行くなら、ゆっくり選びたいの、みぃ。今は、なんかそういう気分じゃないの」