ママの靴がない

”まさか、、ね?”と思いながら、ご自由にお持ちくださいと書かれた箱の中を覗いてみた。マンションの入口には他にも不用品が並べられていた。ここに目当てのモノはなかったが、間に合ったと分かって心の底から安堵した。

 

                 

過去の記憶を辿る。
先週、歯医者へ行った。歯医者は極めて可能性は低い。週末、電車に乗って買い物へ出掛けた。車内の出来事を思い出し、確実に”黒”であると証言できた。ここで歯医者の可能性はゼロになった。週明け、ウォーキングをした。記憶が曖昧だが”黒”だとしたら、このタイミングで気付くはずだ。ということは”白”だ。

 

「ママの靴がない!」

玄関まで見送ってくれた息子と娘に言うも誰も心当たりはない。

下駄箱の下の空間に収められた二足のスニーカ―は、左が黒、右が白と置き場所が決まっている。黒のスニーカーを手に取ると、見覚えのない靴で驚いた。反射的にすぐに戻して、代わりに白のスニーカーを取り出した。

色は黒、素材はメッシュまでは同じだが、私の靴は紐靴で、さっき見たのはスリッポンのような形状だった。電車の時刻が迫っていたので、ろくに確かめずに家を出た。一刻も早く家に戻って、もう一度確かめたい。

 

いつどこで何があったか思い出す。
歯医者で履き間違えたとしたら、間違えられた相手が気付くだろう。歯医者からすぐ連絡があるはずだ。電車の車内で、夫に荷物を預けて緩んだ靴の紐を結び直した。確かにその日は黒の靴を履いていた。ウォーキングの日が曖昧だった。長時間歩くときは、決まって黒の靴を選択するのだが、さすがに今日のように履くときに気付くはずだ。だからその日は”白”を履いている。

家には私の靴がなくて、見知らぬ靴がある。どこかで履き間違えている。心当たりはすぐに見つかった。あの家だ。
フリーマーケットのごとく、ご自宅を開放して不用なモノを譲ってくれるという家があった。樹希ちゃんちのポストに投函された案内のチラシは、グループラインで共有された。他にもワンコインで体験できる催しもあって、面白いねとやり取りした。

うちからも近く娘と覗きに行った。気さくなご夫婦が迎えてくれた。”お引越しはいつですか?”と聞くと”来週”だという答えが返ってきた。

自宅を訪れたのが日曜日。それから四日後、靴の履き間違えに気が付いた。来週としか聞いていない引越日はもう過ぎているかも知れない。

”ピンポーン” ”はぁーい”

マンションの入口の不用品は間違いなく、ここの家主のモノだった。まだ荷造り中だ。
迷惑を掛けたことを詫びて、最後に質問した。

”お引越しはいつですか?”

”明日です”