私は「本人」ではなかった。

ちょっと聞きたいことがあった。だが断られた。ならばと、”委任状”という言葉を出してみた。しかし、よほどの事情がない限り、その効力は発揮しないようだ。

今週は幾度となく、この坂を通る。以前は立ちこぎして上りきることができたのに、途中で自転車から降りることもしばしばだった。
坂の向こうにある金融機関を、三日も巡っていた。

 

坂を上る前に、小さな郵便局へ寄った。
やはりここでも、”本人”しか手続きができないと言う。委任状という言葉は、別の金融機関で却下されたので、すっかり頭から消え、口に出すことさえ忘れていた。
営業は平日のみだ。本人が来店するのは難しい。

坂を上った先に、大きな郵便局がある。
土日も配送業務の受付などをしている、ここではどうだろうか?
希望の手続きが土日にできないか尋ねてみたが、答えはノーだった。しかし、委任状があればできる、と言う。委任状の書き方の説明を丁寧に受け、書類を持ち帰った。

 

時々、このような不便さを感じる。
本人、本人と言う。
本人なしの、もしくは本人ができる方法を模索してるのに、こちらの言葉足らずや、あちらの視野の違いによっては、知りたい情報を見逃してしまう。

手を煩わすつもりもないが、ネット上で解決することもできない。
しかし”本人”でない私が奔走せざるを得ない状況は、なんだか不自然である。

金融機関とは別件で、とあるところに問い合わせをした。
ネット上の”よくある質問”では解決せず、電話を掛ける。音声ガイダンスの案内は、どれにも当てはまらず、振り出しに戻る。もう一度掛け直し、再度近い内容のものを探す。
手元にある書類には、私の名はない。電話の相手に、書類の名との関係性を問われる。

 

私は私である。
”本人”に委任された私は、身分証明書を持って、また来週同じところへ出向いていく。