楽々

五月の中旬だというのに、真夏のような暑さだった。まだ体は気温に対応しておらず、テレビの画面からも、熱中症の注意を促す。

昨日取り込んだ洗濯物から手に取った服は、そんな暑さのなかに着た半袖だったが、今日は一転し、肌寒い。
部屋中の開け放した窓を一旦閉めて、長袖を羽織る。

予報通り午後からは雨が降り、そんななか都会の雑踏へと向かう。

 

目的地の駅には、複数の路線が通っているため、乗換案内のアプリも複数の回答する。
電車に乗る直前に検索した結果は、よく見ると乗換駅で随分歩かされる。
再度、検索をすると今度は乗り継ぎが悪い。

帰りも同様に、アプリの回答は行きと同じ路線には乗せてくれない。
駅構内で検索したにもかかわらず、ホームに着く頃には、私は乗る予定の電車を見送っていた。

また違うホームへと移動する。階段を上がったり下りたりしているうちに、長袖を羽織った体は汗ばんできた。

見慣れた色の電車に乗るのが、間違いないだろうと思ったが、間違いだった。今の時間帯は一切この駅には止まらない。どうりでアプリは違う路線ばかりいうのだった。

 

いつもの乗換駅まで戻ってくると、見慣れた景色にようやくほっとした。
改札口でICカードの代わりに、首から下げた携帯電話をかざす。

家族は皆、すでにそうしているように、遅ればせながら、私もようやく交通系ICカードのアプリを入れた。なんとも便利が良かった。

 

 

遠回りでも、私の納得する方法で、片付けをしたいという思いは変わらない。ただその方法はもちろん一度きりのつもりで、片付けたあとは、”頑張って”維持をしていくのだと強い思いを持つ。

取り出しやすく、しまいやすいなど、収納方法を自分なりに変えたりするが、”頑張らずに”維持できる方法を、とことん追求していなかったことに気付く。
苦手なことほど、頑張ろうと意識せずとも、”楽”にできる方法を知る必要があった。

アプリ一つ入れるのにも随分と時間がかかった。その他のことも大概そうで、調べてからだとか、もっと考えてからだとか、挙句に面倒だからとか、後回しにすることが多い。交通系ICカードにおいては、現金をチャージする方がよほど面倒だ。

 

”楽”から”楽しい”が生まれてくるような気がした。
少し急ぎ足で”楽”を考える。