願い

時々訪れるこの場所は、最近どこかしら工事をしている。先日訪れたときは正面の入口が塞がれていたため、脇から敷地へ入った。サンダルの中に入ってくる砂利が、素足に刺さる。砂利道を進んだ先で、手を合わせ「お願い」をした。

今日もまたサンダルで来た。鳥居をくぐる前に一礼をし、奥へ進む。正面の入口の工事は終わったようだ。砂利を踏むことなく、石畳の参道を進む。みんなに無事会えたこと、何事もなく帰省先から自宅に戻ってきたことの「お礼」を伝えた。

先月ここで、お祭りがあった。行きたいと言う娘と二人で出向く。ちょうど山車が出るタイミングだった。長い綱の横に並ぶ、小さな子供達の姿を見ることができた。思わず微笑んでしまう。
山車を見送ったあと、屋台を楽しむ。境内に所狭しと並ぶ屋台は十軒ほどしかなく、ぐるりと回るのに時間はかからない。準備中のベビーカステラを買えずに、残念に思う私の横で、杏の水飴を買って満足そうにしている二十歳を過ぎた娘がいた。
少し覗いただけのお祭りに、娘も私も思いのほか楽しめた。

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私の願いは無論、片付けができるようになることである。しかし、決してこのことを神様に願うことはない。滅相もないからである。
「片付け」をすることで、「片付け」だけではない何かと戦いを挑んでいる。それ故、自分自身にしか解決することができない。
自分の性格はよく知っている、つもりでいる。しかし言語化して見つめ直すと、改めて「自分」というものを突き詰められる。「自分」と「片付け」をもっと深堀りする必要がありそうだ。

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例年そうしているように、今年の大晦日の夜も、ここに来る。0時になると並んでいた列が動き出す。願いはいつも同じ、「家族みんなが健康でいられますように」。

ポストを覗くと、病院から私宛に封書が届いていた。年末を迎える前の、秋の恒例行事、「健康診断」の案内だった。