呪縛

猛暑が続いた季節は乗り越えたのだと、実感する。それは彼らが知らせに来たからだった。姿はみたことがない。幼いころも、大人になった今でも。開け放した窓から、心地よい風に乗って、ただリーンリーンと鳴く声が聞こえるだけだった。

洋室の端に山積みされた書類は、すっかり風景の一部と化していた。ゴミ袋一袋以上は処分したのだが、見た目は全く変わっていなかった。
書類の大半は家計に関わるもので、レシート、クレジットカードの明細書、家計簿などだ。カードの明細書には明細と合致するレシートがビラビラと何枚も重ねられ、ホッチキスで止められていた。病院の領収書や薬を購入したレシートは、年ごとにジップロックにまとめられていた。医療費控除の申請をするほど医療費は使っていなかった。翌年には処分しても差し支えなかったが、古いものは五年以上前の日付が刻まれていた。

「使っているか」「使っていないか」の問いには「使っていない」、「ときめくか」「ときめかないか」の問いには「ときめかない」と即答できる。ならば極めて重要な書類を除いて、すべて処分しても困らないはずだった。

ただ「片付け」の中で、「書類」が一番厄介だと感じていた。
家計管理をしっかりとしなければならないという義務感があった。過去を覗くと、何度も家計簿をつけている形跡があった。結局、項目別の合計金額も出さず、何も把握しないまま終わっていた。現在と未来を考えなければならないのに、いつの時点も溜めこんだ過去の整理からしていた。それも中途半端のままで、過去をどこかに記録しておきたいと、後生大事に昔の家計簿を捨てられずに持っていた。

保険、携帯電話、公共料金などの見直し、これらをすべてを終えないと、私にとっての「書類の片付け」は完了といえなかった。
特に携帯電話は、家族それぞれの使い方の状況も変化し、新しいプランが出たりと、調べる要素が多い。以前は良かったが、今困難にしているのは、家族プランだったりもする。何においても、「契約者」である夫じゃないと出来ないことも多い。委任状を書いてもらうのも一筋縄でいかないこともある。

年末調整で提出した書類のコピーが何年分も出てきた。夫が勤務先に提出するものだったが、毎年私が記入する。控えとして必ずコピーをとる。最近はスキャンをして、パソコン内で保存をするも、抜けがあった。必ずどこかにはあるはずだ。探さないと気が済まないのだろうな、と厄介な自分に溜息が出た。
シンプルに考えればよいと、夫は思っているのだろう。ただそう感じない私はなぜなのか。

最初から役割分担が決まっていた。それは話し合いの必要性も感じず、お互い異議も唱えず、自然にスタートした。

ときめき

星の形に似た葉が、こぼれ落ちるように小さな鉢からあふれ出ている様子が、愛くるしい。それとは打って変わって、対角線上には大胆で大きな葉をつけた植木鉢が、直置きされている。ナチュラルな色の家具で統一されたこの部屋は、まさに癒しの空間だ。ここでハーブティーを飲みたい。
⦅統一感は当たり前やねん。ここで飲食したらあかん⦆
隣の部屋は在宅ワークが快適にできるよう、いくつかの机とオフィスチェアがセンス良く配置されている。たまには気分を変えて、立ったままキーボードを打つのもいい。ボタン一つで簡単に調整ができる机は、立つとちょうど良い高さにもなる。
⦅こんなたくさん机とイスいらんねん⦆
奥の部屋はドレッサールームと呼びたくなる部屋だ。鏡を囲うように付けられたいくつものライトが眩い。ここなら心ときめいて、毎日肌の手入れもするだろう。
⦅ときめかんでも肌の手入れはしぃやー。皮膚科の保湿クリームさえ、塗り忘れてるで⦆

ようやく辿り着いた、素敵な部屋に。
⦅ようやくってここそんな遠くないねん。
部屋片付いたんかと思わせてるけど、自分ちちゃうやん⦆

都心にイケアができるとは予想外だった。

        ***

「小さな場所から片付ける」これは片付け本の定番文句だ。
中身を出して、使っていないものを処分して、残りを元に戻す。今日はこの引き出し、明日は本棚の一段目などと、小さく場所を区切れば片付くとでも?と、私は言いたい。
確かに、だいたいの「もの」は仲間分けをして収納はされてはいるが、そもそもそこの住所で良いのか、から始まるのだ。家の「もの」に一番触れる私の動きと、癖と、そして性格をもっと深く考える必要があった。なぜなら何度も失敗に終わっているからだ。私が「もの」に一番触れる状況であるのは、家族が「もの」の場所を把握していないということでもある。これを解消するなら、私の動きだけでなく、家族が使いやすい「もの」の場所も併せて考える必要があった。

家中の「もの」をひっくり返して、家族総出で片付けるというのも難しい。もし可能だとして、すべての場所が一瞬に片付いても維持できるかは分からない。不具合も出てくるだろう。

すべての部屋を見渡す。子供達の部屋を除けば、たかだか2DKの間取りなのだ。しかしその空間に「もの」はたくさんある。
もちろん収納家具を増やすつもりはない。どこから手をつけようか。思い描く部屋にするには、整理整頓の前に、ぎゅうぎゅう、ぐちゃぐちゃ、ごちゃごちゃ、ぱんぱんの場所から、結局は「もの」を減らすことだと気付く。

どうにも片付け本から得た知識を活かせなかったが、「ときめく」か「ときめかない」かをまずはやってみることにする。
一冊の本が世に出る前には、何度も校正されているはずだ。片付けもまた何度も校正して、ようやく形になっていく。

街の洋服屋さんは、すっかり秋色に染まっていた。そして二か月ごとのカレンダーは、とうとう残り二枚になった。

果てしない川

ダンボールの箱で塞がれた玄関を出ようとして、ドキッとする。
鍵が開いていた。

        ***

後ろから足音がした。かなり足早でどんどん近づいてくる。

マンションに入って、集合ポストを通り過ぎたら、四つ目のドアが我が家だった。一番奥とはいえ、世帯数が少ないので、入口からは大した距離ではない。

マンションの前には誰もいなかった。なのに、家の玄関に向かう私に、誰かがもう追い付こうとしていた。後ろから来る人物は、足音の様子から、隣の部屋の紳士ではないことは明らかだ。振り向くと、両手にビールと炭酸水のケースを抱えた配送員がいた。

アマゾンのセールで購入した、我が家宛の荷物だった。

配送の方と会話をしながら、玄関を開ける。そのあと、いつものリズムを崩したようだ。鍵を閉めるのをすっかり忘れていた。

        ***

外から入ってくる「もの」は、かなり減った。
子供が高校生までは学年が上がるごとに「もの」が増え、使わない教科書や学校で制作した作品は押し入れに追いやられていた。しかし今は、学校から家に連れて来られる「もの」はない。
物欲もあまりない。収納ケースをこれ以上増やすことは、御法度だと肝に銘じている。手に入れたい「もの」は片付けが終わってから、吟味したい。そう簡単に「もの」は家の中に入ってはきていないはずだ。

⦅アマゾンから三日連続「もの」が配達されてたで⦆

以前、雑誌に掲載されていた「片付け」の記事は、気力も体力もなくなる50~60代になる前に、片付けようと促す内容だった。しかしこの頃は「50歳からの」、「50代からの」という言葉を目にする。
片付けに関する本は溢れるほど世の中にあった。ひと昔前に出版された本なら、私はたいがい知っていたが、ここ最近は「片付け」の本から少し遠ざかっていた。新聞の広告記事に「片付け本」が載っていたと彼女が言う。「片付け本」は時代が変わっても、永遠に世に出るほど、常に関心を持たれるテーマである。「片付けを始める、ゆめ子ちゃん世代の人が多いんだね」それを聞いた50代に差し掛かる私は、「50歳」「50代」のキーワードが気になった。

溢れる「もの」を追っかけっこするように、片付けても片付けてもキリがない時期には、やはり片付けるのは無理だった。そんな時期が過ぎ、やはり「50代から」片付ける、ということは今なのだろう。

広大なアマゾン川の出口がどこなのか、と同じぐらい「片付けの終わり」も果てしなく、どこにあるかまだみえていなかった。それでも確実に、「もの」は一つずつ、何かしらの方法で家の外へ出る。川の流れのように「もの」は滞らせず、手離し、そして残したものは稼働させる。

メンテナンス

生年月日の欄はすでに記入済みだというのに、年齢を書くのを躊躇した。身長と体重を書く欄もある。恐らく「子供」だった場合に必要な情報であって、「大人」の私は、生年月日と体重以外は不要かと思われた。しかし空欄があるのもかえっておかしい。すべての欄を埋めた紙を受付に出した。

最近も他人に体重を聞かれた。過去一重い体重を、か細い声で答える。処方する薬の量に関係するのだろう。そう、あの日病院のベッドで弱っていたときだ。

会計時に処方箋に書かれた名前と生年月日を確認するよう言われる。鞄に入った老眼鏡を出さずに、しかめっ面で焦点を合わせて確かめたが、最初に受付で出した問診票のとおり間違いはなかった。外に出てもう一度確かめる。生年月日の横には「49歳5か月」と書かれていた。

洗濯物のシミを下洗いするときも、書類を整理するときも、手の指に何かが触れるととても気になった。治まっていたかゆみが復活する。市販の薬を試したが、なかなか治らず、そのうちひどくなってしまった。
皮膚のかゆみは乾燥によるものだった。先生が肉眼だけでなく、虫眼鏡で皮膚を観察する。いや、あれは医療道具で、大きく見えるレンズであることは共通していたが、虫眼鏡とは言わないだろう。
かゆみ止めと一緒に保湿クリームも処方される。化粧水もクリームも、出掛けるときにしかしない。ましてやハンドクリームを塗る習慣がなかった。全くケアをしていない体だった。

自分に関することは、特に二の次だ。自分磨きや何かを楽しむことの、スタートラインに立ってはいけないような気になってしまう。それは「片付けられない」がまとわりついてるからだった。まずはやることがあるでしょうと、頭の中で誰かが言う。
しかし、肌の最低限のケアは歯磨きぐらいの習慣ですることなのだろうと感じている。


「片付け」も「身体」も、気になることは放置しないように努めることとする。
秋には、初めての人間ドックを受けにいく。

夏の終わり

太陽が眩しいほど、いい天気だった。「好きな色を選んでね」と先生が言った。手にした色が、とても好きだったかというと、記憶になかったが、きっとその時好きな色だったのだろう。何色が好きだったか、何色が好きなのか、昔も今も、すぐにはっきり答えられない。
クラスには四十人もの生徒がいた。ハイカラな色が揃った折り紙なんて、目にしたことのない時代だ。十二色の中から選ぶ折り紙は、必ず誰かと色が被ってしまう。
校庭に出て実験が始まると、早々に歓声が上がった。周りをみると、虫眼鏡を通して集められた太陽の光が、折り紙を焦がし煙を出していた。私が選んだ折り紙からは、一向に煙が出てこなかった。はしゃぐ声しか聞こえないなか、黙々と実験を続けた。私と同じ、黄色の折り紙を選んだ子は、クラスにいなかったのだろうか。大勢のクラスメイトが一人一人手に取った折り紙の色は覚えていない。

        ***

娘とラジオ体操が懐かしいと話していた翌日、普段は気にしない町内の掲示板に目が留まった。月曜日から金曜日までの五日間、7月と8月の終わりにラジオ体操が実施されるという案内が張り出されていた。「河川敷でやっているみたいだよ」と娘が言っていたのはこれだったのか。近所の人が、しかも高齢の方が集まって、毎日やっているような勝手なイメージをしていたが、違うようだ。張り紙にはきちんと主催も記載されている。
8月のラジオ体操にまだ間に合う日だった。行ってみようかと、掲示板の張り紙に書かれた時間を確認する。ちょうど夫を起こして、身支度の準備をする時間と被っていた。私がラジオ体操に参加しようとも、夫に反対されるわけもない。ただ、ラジオ体操に出向く前に、あちらこちらから夫の身支度の品を集めて準備しておく必要があった。
おにぎりの準備も、最近では水筒の準備さえなかった。その代わり、昔のルーティンのように、その日着ていくカッターシャツのアイロンの時間に充てていた。
和室の一角に、会社へ行くための準備コーナーを作りたいと思いつつ、まだ実現されていなかった。そこにはアイロンを済ませた一週間分のカッターシャツを掛けておく。そこから、直接夫が身に着けるものを手に取ってくれれば、何も事前に準備しておく必要がない。古いノートのやることリストにも、「和室 会社コーナー」と書いてあるのを先日見つけた。いつになったら、実現するのか自分に嫌気がさす。

思い描く和室の一角が完成していないことが原因で、なんだか面倒になってしまった。黄色の折り紙に根気よく虫眼鏡をかざしていた私、毎日のようにラジオ体操に参加していた私、昔をふと思い出し懐かしむ。その頃「面倒」なんて言葉は使っていなかった。頻繁に「面倒」だと感じる大人になってしまった私は、来年の夏、河川敷を覗いてみることにした。

健やかなるとき

お茶を飲み干したガラスコップに、水を注いでから随分時間が経っていた。食卓に置かれたガラスコップのそばに、「小さな石」の倍の大きさはある固形物が二つ。食事はとうに終えているのに、最後に口に運ばなければならないそれだけは、ずっとそのままだった。

たかが4㎜、されど4㎜、たった一つの「小さな石」は私を苦しめた。ベッドで横たわる私は、先生の話に頷くのもしんどいほど非常に弱々しかった。それでも、病院にいるというだけで、大きな安心感がある。食前に服用する漢方薬を処方するかどうか、私の判断に委ねられた。食後の薬もあるのに、食前に漢方薬まで飲むのは大変だろうとのことだった。とにかくなんでもすがれるものなら、すがりたい気持ちで、即答で処方をお願いする。漢方薬は苦いし、一回分の顆粒の量も多く、上手く飲めた試しがない。それでも、食後に飲む薬よりは躊躇なく飲める。とにかく錠剤を飲むのが苦手だった。

あの日、いつもと違う腹痛に襲われた私は、尿路結石と診断された。
⦅腰痛と吐き気もあってんな⦆

        ***

娘は「片付けもダイエットもしなくていい」と私に言う。いつまでもやってる「片付け」と、いつになっても始めない「ダイエット」。誰も困っていないし、そこに費やす時間がもったいないと思っているようだ。
ただ片付けられていない部屋は、物の出し入れ、動線がスムーズではない。娘が困っていないのは、家事の手伝いをする機会が少なく、最適な場所に収納されていないことに気付いていないからではないのだろうか。誰もが家のことをスムーズにできて、ストレスなく過ごせる空間にしたい。やはり「片付け」は必要だ。
「ダイエット」、いつも口だけだった。ダイエットはせずとも「健康」は意識したい。大事には至らなかったが、今回のことはいいきっかけとなる。何気なく、手をあてたお腹をみて、溜息をつく。やはり「ダイエット」は必要だ。
⦅腹痛のとき、服もきつくて苦しかってんな⦆

確かに「片付け」と「ダイエット」ばかりを気にする生活はしたくない。もうこの言葉を発しない日がきたとき、心身共に健やかなるときがきたと言えるのかもしれない。

日記

勘違いのせいで、小さな白いノートは二冊あった。白紙を埋めるのに頭を悩ませる。朝の、そして夜のルーティンにも、ノートを書く習慣がないのは、ついついまとめて書いているからだった。あの日は何をしていたっけ?何を思ったのだっけ?財布に残ったレシートを頼りにしてみても、あまり役に立たなかった。

「日記を書く」そんな習慣はなかった。嫌なことがあればきっと書く、それを記録しておくのも躊躇する。自分の字も好きじゃない。そもそも続かない。

三年前の春の日、あるきっかけから、これからの人生を考えるようになった。日記を書き始めたのはその日から約一年後のことだが、紐を解けばこの日があったからだ。いろいろ考えているうち、思いも変わっていく。そんな変化する自分を記録し、十年後、二十年後、過去の自分に会えたら少し面白いかなと思って、日記を書いてみようかという気になった。「十年日記」と記された日記帳は同じページに同じ月日を十年分書けるようになっていて、すぐに振り返ることができるのが特徴だ。これがいい。いやしかし、立派なものを購入する前に、最初は小さなノートを三年日記として使うことにした。一ページを三段に分け、一番下には日付を書く。
小さな白いノートは、今年の誕生日を迎えてから三段目に書くようになっていた。一年前、二年前の同じ日の日記をみると面白い。もう少し、内面的なことを記したかったはずだが、家族の出来事や気象情報など、「私」に触れていないことも多い。文脈も支離滅裂だ。

子供の昼食について考えていたある日、ノートの二段目に、昼食問題について書かれていたのが目に入った。内容をみて「今全く同じことを思った」と心の中でつぶやく。昼食については、作る作らないだけでなく、あれこれ面倒で億劫なのだ。娘は残り物で済ましてくれていることが多い。用意したものがあれば食べるし、タイミングによっては食べない。息子はといえば、残り物によっては物足りないし、だからといって自分で作って食べる習慣はない。難しく考えなくてよいはずなのに、一年後もまったく同じ思いでいるとは笑ってしまう。

小さな白いノートの裏には、ページの数が記されていた。その数をノートの枚数だと勘違いした。日記を書き進めるうち、一冊のノートに半年分しか書けないことに気が付く。二冊の小さな白いノートには、これからもっと「私」も登場させてみようと思う。